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 塵壺353 令和2年11月号 とうちゃこ! 上舞木大峯 「玉ヶ滝」 旧岩江村




 塵壺353 令和2年11月号

  
 とうちゃこ! 上舞木大峯 「玉ヶ滝」 旧岩江村

 火野正平さんが出演するNHKBS3人気番組「にっぽん縦断 こころ旅 」で、先に上舞木大峯の「玉ヶ滝」が紹介されていました。

火野さんに場所を聴かれた三春茶屋社長の電話の先は・・・私でした!








 藩政時代、玉ヶ滝付近は、田村と安積を結ぶ交通の要路でした。

三春城下起点の江戸街道を鷹巣から別れて、上舞木延命寺下から大峯の「玉ヶ滝」の流れに沿い、今に残る「弘安碑」の下を、現舞木駅向いの「桜清水」のほとりを通り、阿久津から渡し舟で行く道が本道です。

 旧岩江村は、三春町の西端で、郡山市に近接する下舞木、上舞木、山田の3集落があります。
 古くは三春田村領、その後会津領となり、さらに三春領になりますが、江戸中期の元禄12年、磐城守山(現郡山市田村町守山)藩(藩主松平大学頭)の2万石領となり明治維新を迎えます。

 磐城守山藩松平氏は徳川御三家一家、水戸藩の連枝となる分家で、初代藩主の松平頼元は、水戸黄門で有名な徳川光圀の異母弟で、家康の孫にあたります。

また、歴代藩主は御本家の水戸藩徳川家同様、江戸幕府の特例で江戸に江戸常府、江戸小石川の藩邸に定住しています。即ち参勤交代も水戸藩同様に免除されていました。

 上記のような事情から守山藩主である松平氏は勿論藩士でさえも代官の藩士3人以外は一度も守山藩領を訪れたことはないと推測されます。







 磐城守山藩の領地は、31ケ村です。
 三町目村、木村、山田村、芹沢村、根木屋村、南小泉村、北小泉村、阿久津村、下白岩村、上舞木村、下舞木村、白岩村、荒井村、蒲倉村、大平村、横川村、安原村、手代木村、下行合村、上行合村、大善寺村、金屋村、徳定村、御代田村、正直村、山中村、守山村、岩作村、大供村、金沢村、小川村、その他常陸国(茨城県)行方(なめかた)郡内11か村、鹿島(かしま)郡内15か村、茨城郡内8か村で構成され、内高は2万9000石余あり、これらの領地は、守山陣屋・松川(大洗)陣屋の支配となっています。

 尚、幕末の守山藩最後の藩主7代松平頼之は、水戸藩主徳川斉昭の子で、徳川十五代将軍徳川慶喜の弟です。

 実兄である松平喜徳(斉昭の十九男)は、戊辰ノ役前夜の慶応三年、会津藩9代藩主・松平容保の養子となり10代藩主となります。
 明治元年(1868年)9月、戊辰会津戦争で敗北し新政府軍に降伏、会津松平家は領地没収・家名断絶となり、容保と共に斗南藩預りとなりますが、後に養子解消し弟である頼之の死去に伴って守山松平氏の家督を継ぎ東京へ移ります。

 明治4年、平県から磐前県となり、同9年福島県と改められ、戸長制度が設けられて西部18ヵ村が鷹巣戸長役場の支配を受けます。

 明治22年には、町村制がしかれて岩江村となり、根木屋、芹沢は、西田村(後郡山市西田町)、下舞木、上舞木、山田は三春町。白岩、下白岩、阿久津、安原、横川と上舞木の一部が郡山に合併します。









 郡山~三春間の県道は、明治17年専横をきわめた三島県令が、県会議長の河野磐洲(広中)らを国事犯として投獄し、その留守中に開設した道路とされています。

 上舞木の「直昆神社」は、千数百年前の崇神天皇の頃に、全国平定のため四方に派遣されたと伝えられる四人の皇族将軍・四道将軍(しどうしょうぐん)の遺跡と伝えられ、東海を進軍する武渟川別命 (たけぬなかわわけのみこと)は、岩城から小野、中田、中郷、鷹巣を経て上舞木に一泊し、ここで「直昆神社」に戦勝祈願しています。
さらに、北小泉から川を越えて、保成(母成)峠から会津に入り、北陸より会津入りした父大彦主命(おおびこのみこと)と対面したと伝えられています。








   蒼龍謹白   with 三春城下 さすねぇぞい三春!  拝


| ryuichi | 04:17 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |