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三春物語98番 「平沢満願虚空蔵尊」


平安延暦期、大和朝廷より奥州討伐の命を受けた征夷大将軍坂上田村麻呂は、現大越(大声)に住む、大多鬼丸を討伐し、岩手胆沢に向かった後の話です。
京より田村麻呂の後を追ってきた妹は、三春平沢に至り、旅の疲れからこの地で倒れ、帰らぬ人となりました。里人はこれを哀れみ虚空蔵菩薩の小像を安置して供養しました。
虚空蔵菩薩は福徳と智慧が無限に内臓されていて、衆生の願いを叶える為に「蔵」から自在に取り出して救済をすると言われますが、何時しかこの虚空蔵様に願をかけると必ず願いがかなうと云うことで満願虚空蔵菩薩と呼ばれるようになり、参拝者が後を絶たなかったといいます。そして、旧三月十三日に挙行されるの祭典には、三春城下から参拝者が多数訪れるため八島川に架かる橋は耐え切れず、押し寄せる参拝者のために橋を担いで渡したと云うことから「担橋」と呼ばれるようになったといいます。
また、案内板によれば、この虚空蔵菩薩像は、奈良期、比叡山延暦寺開山の伝教大師作と伝えられています。清和天皇第六子真純親王五代鎮守府将軍八幡太郎義家が、奥羽の乱(後三年の役)を征定するために京より下向します。(中略)奥羽平定後の帰路、平沢の館で憩中に、病にかかりこの地に守り本尊である虚空蔵菩薩像を鎮座したとありました。
現在は、訪れる人も疎らで、かつての賑わいはありませんが、杉林に囲まれた本堂(館)跡の大きな礎石の上に小さなお堂がひっそりと建ち、周囲の石垣と湧き出る虚空蔵清水が、日本の歴史の片鱗を醸し出しています。そして、澄んだ空気と相まって、その佇まいには心が安らぎます。



福聚寺第十八世 荊州玄柯和尚大禅師がによる虚空蔵菩薩の扁額があります。



| ryuichi | 21:52 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧御木澤村::平沢 |
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