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三春物語193番 「田村月斎舘”椿舘”」
 田村月斎椿舘
三春の防災の要、郡山広域消防三春分署の裏手に、月斎館址があります。
この館は現在の三春町の基礎を築いた田村三代(義顕、隆顕、清顕)その初代義顕の弟、田村月斎入道顕頼の館址です。
田村月斎顕頼は、田村梅雪斎顕定(二代隆顕の弟)とともに田村家では重きをなし、兄義顕亡き後、甥である隆顕を立てて田村家中を纏め上げ、その子清顕(愛姫の父)そして愛姫の義弟宗顕と四代にわたり田村家を支え続けました。
父子叔父甥でも戦いを繰り広げた戦国乱世の時代には珍しく、月斎の人柄が伺えます。
また月斎は武勇に優れたため、近隣の豪族から「畠に地縛り、田に、蛭藻、田村に月斎なけりゃよい」と詠われ、怖れられたといいます。また、月斎は、文化面でも六芸、和歌の道にも秀で教養人でもあったと云われます。
月斎館の立地は、ちょうど三春城の北西側にあり、仮想的国からの防御の要として重要な役割を果たしていました。伊達政宗も三春を訪れたとき、この月斎館でもてなしを受けたと古文書は伝えています。
田村家の家臣達は、田村庄及び小野保(現在の小野町)に、後に云う田村四十八舘を築き、それぞれ本拠として防備の為に領していたが、三春城下にも屋敷を与えられ、三春城の一郭を成し非常時に備えていました。月斎以下重臣屋敷が城近くに配置され三春城の防御の要を成し、常に田村家に近侍する直属の旗本不断衆千騎の屋敷も城近くに集中していました。
田村月斎が生きた時代、それは正に戦国乱世、相馬氏、芦名氏、二階堂氏、伊達氏そして佐竹氏などの戦国武将が割拠し田村領を狙い、四面楚歌的状況でした、また風潮として下向上が罷りと通る世の中にあって月斎顕頼は主家を立て、内紛による田村家分裂を嫌い、自分は補佐役として晩年に到までの生涯を懸けて、田村本家を守り抜いた。
戦国期三春防備の要月斎館跡下に、現在の三春防災の拠点三春分署があり、現代の不断衆とも言うべき三春町消防団が非常時に備えていて、月斎の安心した顔が目に浮かぶようです。
冬は特に火を使う事が多くなる時期です、火の用心をお願いします。
                 合掌


| ryuichi | 22:03 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下北町 |
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