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「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」 著:鴻上 尚史 



「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」

鴻上尚史著 講談社現代新書



「死ななくてもいいと思います。死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させます」



1944年11月、海軍の神風(じんぷう)特別攻撃隊・敷島隊」の体当たり攻撃から二週間の後に、陸軍の第一回特攻作戦が発令され「万朶隊(まんだたい)」として旧式になりつつあった「陸軍九十九式双発軽爆撃機」で出撃して敵艦隊に爆弾を投下して帰還したのにもかかわらず、大本営発表では戦死「軍神」として祀り上げられてから、尚9回の出撃して帰還した特攻隊員のお話です。

その特攻兵、佐々木友次氏

佐々木氏は、戦後の日本を生き抜き2016年2月に亡くなった。


帝国陸軍参謀に「必ず死んで来い!」と云われながら命令に背き、その都度生還を果たします。

太平洋戦争の末期に実施された戦死を前提とする体当たり攻撃”特別攻撃隊”によって、若者たちが命を落としていった。


特攻隊で名誉の戦死とされ軍神にまで祀り上げられながら、尚も生、そして通常攻撃を敢行するという信念を貫いた飛行機好きの航空兵です。

飛行機がただ好きだった男が、なぜ、軍では絶対である上官の命令に背き、命の尊厳を守りぬけたのか?

「体当たりをしないで、敵艦を沈めることにこしたことはない。しかし、特攻隊が体当たりしないで生きていたらうるさいだろう」・・・

「いろいろ言われますが、船を沈めりゃ文句はないでしょう」
佐々木は人懐っこい目を細くして、笑いを浮かべた。佐々木はこの頃には同じようなことを、上級下級の区別なく、また、新聞記者にも率直に、公然と語り始めていた。

誰が何と言おうと、どんなに参謀に怒鳴られようと、「体当たりでは死なない!」と宣言しているかのようだった・・・・本文より

特攻は兵士の誇りを傷つける作戦だったという話では、体当たりせよという命令は、それまで訓練してきた急降下爆撃などの技術や航空力学を否定するもの。

だから佐々木氏らは、命令に逆らって米軍の戦艦に爆弾を投下して帰還している。

同じく体当たり攻撃である特攻隊に最後まで反対して通常攻撃を繰り返した海軍131航空隊芙蓉部隊の指揮官美濃部正氏も文中に登場しています。

当時の攻撃機パイロットのプロ意識が垣間見れます。




僕はどうしてもこの人の生涯を本にしたかった ― 鴻上 尚史



万朶隊(ばんだたい、萬朶隊)は、日本陸軍航空隊初の特別攻撃隊。

1944年(昭和19年)10月21日、鉾田教導飛行師団で編成され、装備機種は九九式双発軽爆撃機、隊長は陸軍航空士官学校第53期岩本益臣大尉(1917〜44)



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:32 | comments (x) | trackback (x) | 春陽郷三春 日暮硯 |