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「明王さまの仁王像二尊」田村大元神社仁王門 KFBの新番組シェアでご紹介!




「明王さまの仁王像二尊」田村大元神社仁王門

KFBの新番組シェアの中、県民リポーターで三春町を担当する三春昭進堂の髙橋龍一です。
どうぞよろしくお願いいたします。

今日私がお届けする三春まちお自慢は、旧三春藩領内総鎮守の田村大元神社です。
この神社は、私の営む三春昭進堂のある三春城下新町に鎮座する旧三春藩領内総鎮守の明治維新前は、「大元帥明王社」称する神仏習合の鎮守でした。
創建は、約500年前の戦国時代、戦国武将の田村義顕公が防御を固めるために、三春城を築城し、三春入城に伴い三春田村氏領内総鎮守として郡山市田村町守山より三春舞鶴城内の”三の丸”であるこの地に移されました。

以来、三春五万石の領民の崇敬を受けてきました。
今でも城下では「明王さま」(訛ってミオさま)と呼んで親しまれています。






伊達政宗も来たことがある・・・

この大元帥明王社(泰平寺・学頭坊)には、田村家の三代の田村清顕公の娘「愛姫」を正室とする伊達政宗三春滞在の際の宿泊所としていました。
その際には、田村家中および近隣の豪族の殆どが御目通りを願いに訪れたと記録されています。

また、伊達政宗が宴席を設け、伊達成実や片倉小十郎などの伊達の重臣一同、そして、義理の父である田村家当主清顕公以下、齢100歳にもなるだろう田村の軍師田村月斎、橋本刑部などの三春の重臣達が一堂に会して配を酌み交わし、宴席共にしがら戦種祈願や、伊達・田村ご両家の安泰を願ったとされています。
歴史のロマンを感じませんか?

祭礼や初詣などで、みお様を訪れ拝殿に上がるたびに、伊達政宗や歴代のお殿様が見た光景が広がっているのかなあと、殿様気分を味わっています。

コロナが収まれば、夏の祭礼の際には参詣の方にはお屠蘇を差し上げていますので、拝殿に上がり景色を眺めてはいかがですか?もちろん車の運転の方はだめですよ!






その夏祭りですが、
旧暦の6月15日に夏まつりがありました。江戸時代の祭礼は、城下新町の真照寺住職の別当職・監督指揮ですね、それにより、三春藩明王奉行の下で三日三晩行われていました。  
その際は近隣より大勢の祭り見物のお客さんが三春城下を訪れ、その監視と整理のために櫓を立て役人が寝ずの番をしたと言いますから、大変な賑わいだったと思います。       

今は、田村大元神社として新町字民に引き継がれ、真夏となる7月の「海の日」、丸一日かけ田母野宮司以下・神職、神社総代・新町の若者で構成される別火講中によって二泊三日で祭礼を挙行し、祭典一式、御神輿町内渡御、長獅子舞を奉納しています。
そして、三匹獅子の奉納や、神社の旗持ち、神楽楽人の楽器持ちの子供たちも一緒に参加しています。
これが夕刻となり、神様の神社へのお帰「還御(カンギョ)」の頃になれば、上は80代から下は小学生まで老若問わず妙な連帯感と親密度が深まっていて、祭礼以外の日常でも挨拶するようになります。

自分の家族でもない、お爺ちゃん、親でもない大人、まして兄妹でもない。
町内に住む氏子というだけの関係です。
世代も、住む環境もまったく違う、様々な人々と仲良くなるという不思議な人間関係が、気が付いたら出来上がっています。

人の成長には、親の庇護を離れ”世間の荒波”と云えば大袈裟ですが、綺麗なものや汚いもの、時には危険なことなどに触れ、そこで感じたものが、子供たちの今後の人生に、どれだけ役に立つか計り知れませんよね。






そしてもう一つ、紹介したいのはこの金剛力士像、通称「仁王さま」です。
神社に金剛力士像?仁王様?
先ほど説明した通り、この神社は仏教色が濃かったので仏教の守護神として仁王像を安置していました。

現在の田村大元神社及び随身門(ずいしんもん)は、明治の前年となる慶応三年に建築され、この仁王像もこの時製作されこの門に安置されました。
後に明治維新後の神仏分離、廃仏毀釈の影響により、明治二年に本殿、拝殿ともに取り壊されますが、仁王門は竣工間もない新築なので、そのまま「随身門」として残され、「仁王様」の二尊は、神社にはふさわしくないということで、旧三春藩主祈願所真照寺の軒下に仮安置され、以来約80年の間“真照寺の仁王さま”として親しまれてきました。
しかし、昭和43年になって、町内氏子による「仁王様の神社へ帰還」という熱望により、現在の姿になっています。

仁王様の下絵は、三春藩士で絵師の中村寛亭が描き、三春の彫刻士伊藤光運の彫刻です。


この仁王さまも、時代の流れの中で かつては鮮やかであったであろう色彩も消え、半ば朽ちた木造の巨大な仏像でありましたが、平成11年に、町内有志の寄進があり、仁王像二尊の修復がなされ往年の姿に戻っています。

この時の修復を手掛けた仏師の方から「この仁王様の姿は全国的に見ても珍しいお姿です。仁王像と云えば東大寺の金剛力士像・仁王様に象徴されるような“筋肉隆々、胸を反らして威を張るような姿”をしていますが、こので仁王様はお相撲さんのように全体的にふくよかで、少し前かがみの姿勢は、どこか愛くるしいお姿をされています。まるで、参道石段を上がってきた参詣の方々に何か優しく諭しているようにも見えます。

 これは、先の殿様である三春秋田氏がもともとの本拠地が青森津軽・十三湊など、北の日本海沿岸部となれば、「佞武多祭り」「ねぶた祭り」そして「なまはげ」を連想させるものでもあります。」とお話されていました。



私たち三春城下の者は、見慣れたお姿ですので、気にもしませんでしたが、言われてみればねぶた祭の武者姿を連想します。

また「子供の頃、悪いことをした時などミオ様に叱ってもらうよ!」と親から叱られたことを思い出します。






そして、この仁王様でもう一つ、口元を見てください、左側の仁王様は「阿(あ)」と口を開き、右側は口を「吽(うん)」と閉じています。

阿吽呼吸の阿吽です。
この「阿」「吽」とは、本来人は、生まれたときに“あ”と口を開いて生まれ、この世を去るときには“うん”と納得・満足して旅立つとされています。
これは生きるということは全て修行であり、今を一生懸命生きなさいという“命の大切さ”を説いていると眞照寺の和尚さんに習ったことがあります。
  
随身(ずいじん)門正面の欄間には、やはり阿吽の二尊の龍が勇ましい姿で彫られています。自分の名前に龍の文字がついているものですから、幼き頃よりこの龍たちには特に親しみがあります。


また、門の彫刻には
・聖人が出現する前兆の「麒麟」
・百獣の王と言われ、魔除けや護獣を意味する「唐獅子」。
・「法華経」の功徳を示した「海人(あま)」
・三国志にも登場する漢の国の名軍師「張良」の彫刻があります。

人の生き方を学べる見どころ満載の田村大元神社の門となっています。

皆さんもぜひ三春にお越しの際にはお詣りいただければ幸いです。


以上、三春城下田村大元神社からお届けしました。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



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