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沢石さわやか学級「三春の歴史講話会」 如是我聞 三春昭進堂 髙橋龍一





三春町生涯学習 沢石「さわやか学級」講話会があり、講師の依頼があり、三春の歴代藩主、そして「橋本正行と南朝」神社の御祭神(後醍醐天皇、御村上天皇、陸奥宮)。

そして、三春佐久間氏の系図等をお話ししました。


さすがに人生に先輩方です。

私の方が色々と教えていただきました。


ありがとうございました。


この講話も、地域貢献」の一環ですが、私が地元三春で健全経営の商いをさせていただけるのも先輩方のお陰だと持っています。


その観点からも、先輩方に感謝し、先輩方がその先輩、言うなれば先人から受け継がれてきたものを継承して次世代へ繋げる・・・そういうことが感謝の記しとしても自分なりの恩返しと仕事だと思っています。






沢石生涯学習「さわやか学級」講話会 如是我聞    於:沢石会館  R3.10.14   40名
                       

三春昭進堂 髙橋龍一


・ご挨拶 三春昭進堂の髙橋 四代目

セリ場の横 おタリさんのおたりまんじゅう 
込木柳作 明治の終わりごろ 昭進堂は昭和元年に命名

・塵壺

平成3年3月~ 令和3年10月で363号 手配り300枚


・歴史への興味 

商売柄全国の経営者と話す機会 お国自慢

三春と云えなかった自分の反省から~

学校の先生からの^三春藩裏切り






・三春田村氏

三春田村家三代 義顕・隆顕・清顕 (愛姫父) 伊達政宗 田村大元神社宿所
10万石 郡山 岩瀬、

清顕急死 生首が飛ぶ 卯の刻参り女の殺害 磐城の由来 地デジ

・田村麻呂の末裔 平氏三春田村氏 藤原田村荘司田村氏 記録がなく一本化

・守山から田村大元神社 田村のお城・菩提寺福聚寺は日和田八丁目 

・阿武隈川東岸 本拠地 日和田・西田・阿久津・田村町・守山(江戸期守山藩領)

・南朝忠臣 橋本一族 大神宮橋本神社 苗字 

・田村氏族 - - 奥州田村郡(磐城)の橋本村(下枝)より起こる。

田村義顕も橋本氏と云い、その弟 月斎100歳も橋本庄七郎と称す。  一関田村家文書
又、光大寺館(芦澤村の光大寺)は、田村氏の族 橋本修理亮、下枝館(御館村)は、橋本刑部少輔、田村氏の重臣 橋本明則、天文元年より住す、その子 定明なりと。

伊達成実記に「三春の家老 橋本紀伊、橋本刑部(顕法・徳)」とあり。
又、田村大膳太夫清顕の家臣に橋本時顕(荒和田)、橋本玄蕃(富澤)、橋本定・(鹿島館(高野村土棚)、橋本修理亮(芦澤)などあり。







・三春秋田氏 安倍・安東家
田村麻呂 阿弖流為 清水寺田村堂
安倍氏 安倍貞任 安倍首相先祖西へ 残留安東氏 
 大和朝廷 源義家 前九年の役 後三年
奥州藤原氏 清原家 平泉金色堂 ジパング(黄金の国)

安東氏  
 蝦夷探題 元寇・神風 ヒバの木造船
 安藤水軍 倭寇 東南アジア沿岸に日本人街 インド洋 ペルシャ湾
 十三湊 外国大使館 貿易 津波で壊滅 発掘調査

安東氏・湊氏  浪岡氏(青森浪岡町 北畠親房・顕家末)


・安東實季 妻五か国管領細川昭元の娘・円光院 
(織田信長妹お犬の娘)徳川三代家光の又従妹 吉兆細川家 細川護熙分家

応仁の乱 京都市内 東軍大将細川勝元 西軍 山名宗全 西陣由来 

若狭国小浜の羽賀寺建立 安藤水軍寄港地縁  

関ヶ原の戦いでは東軍方 領地拡大のチャンス 最上氏と敵対 強力な水軍保有

 家康から御咎め 

徳川幕府は、常陸佐竹氏(西軍・上杉氏と同盟)を 北日本海沿岸の秋田へ

出羽秋田四十九万石を宍戸五万に減封  水軍を取り上げ常陸宍戸へ 

不満噴出   本来なら切腹・お家取り潰し=回避
旧管領細川氏娘正室・家光の又従妹・強力な水軍? 
秋田城介官位から 生駒實季 伊勢朝熊隠居(永松寺)へ片山殿と娘を連れて 
伊勢名物 和漢胃腸薬『萬金丹』
『三重県薬業史』によれば、山麓の朝熊村から出る「秋田教方中倉萬金丹」

実季の長男 秋田俊季公  
水戸藩徳川創設に伴い 三春(米が安い)へ 移封願い






・高木神社 帝釈天

平安時代初頭の大同二年(有名寺社伝説の7割・田村麻呂・空海・徳一創設)、開山に法相宗徳一大師(磐梯山慧日寺・鷹巣薬師寺・天台宗最澄と仏教論争)を招いて、霊域“高野ヶ岡”に小祠を建立し、高木神勝軍地蔵の二社を勧請、「鶏足山豊前寺」を建立して、高野郷の鎮守としたとされています。


鎌倉時代末の南北朝期、南朝方の皇子義良親王(後の後村上天皇)を奉じた、奥州鎮守府将軍北畠陸奥守顕家公(浪岡氏先祖)が、白河結城氏と共に多賀国府へ下向の時、当地を通過する際、“村司・佐久間右京太夫が村人を集めて、御仮屋を造り郷食を奉じます。

義良親王は、御礼として御宸筆の御歌「徳實恩澤(トクジツオンタク)の利益」を下さり、以後この御歌を祭祀、御宮社を「帝爵天皇宮」としています。
その後も、神徳は継承され、戦国期南北朝動乱の初頭に戦国大名として勢力を広げていた平姓三春田村氏の信仰厚く、奥州田村ノ庄(熊野大社領地・荘園)の総鎮守として領内の崇敬を集めたとされています。

江戸期の秋田藩政下では、実沢村鎮守として継承され、明治維新後の廃仏毀釈で、高木神勝軍地蔵尊は金剛山瑞祥寺へ移し、新たに、高皇産霊命(高木神)を祭神して實澤村鎮守“高木神社”と改称されます

社殿に施された彫刻は稀に見る力作揃いで、拝殿外壁の欄間にはめ込まれた明治期の彫り物は、“日清・日露戦争や昭和初期の日独(第一次大戦)そして大東亜戦争での“武運長久”を祈念して奉納されたものです。
拝殿内にも、大東亜戦争時に奉納された軍艦の絵馬が飾られてあります。




・宮代神社

富沢村にある「宮代神社」は,旧神号を三渡大明神、祭神を、南北朝期の後醍醐天皇、後村上天皇、陸奥宮としています。

 鎌倉末の南北朝期の三春地方は、田村氏が南朝方として最期まで奮戦

宇津峰山山頂(討つ宮) 祠 宇津峰カントリークラブ1番ホールと9ホールの間

宇都宮氏北朝方(宮を打つ)

南朝小山氏 小山氏の乱 田村荘司の乱

後醍醐天皇は、鎌倉から南北朝時代の第96代天皇。謀術策にたけた専制君主といわれた。

元弘の乱で鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏との戦い建武の乱に敗れたため、大和吉野へ入り、南朝政権を樹立し、尊氏の室町幕府が擁立した北朝との間で、南北朝の内乱が勃発したが、吉野に従う公家は少なく、孤立が深まるなかでは、1339年義良(のりよし/のりなが)親王〈後村上天皇〉に譲位、同年8月16日、失意のうちに吉野にて52歳の波乱に満ちた生涯を閉じる。






・三春佐久間氏 

実沢には、室町時代から戦国期には三春田村氏の出城である“田村四十八舘”の一つ、北方守護与力五十騎を統括する“実沢館”があり、城主実沢山城守が治めていました。
後に、北方守護は富沢舘の富沢氏となり、実沢佐久間氏が名主として治めます。

この佐久間氏の由来には諸説あります。
歴史的背景からの由来としては、本姓は藤原姓を名乗り、播磨国(兵庫県)守護赤松氏に仕えて、知行地の播磨国佐久間郷から佐久間姓を称し、赤松滅亡後に三春田村氏に仕官したとする説。

もう一つ、旧織田家家臣 柴田勝家の麾下与力佐久間玄蕃盛政(鬼玄葉)二男で、柴田家滅亡(親子の中が悪く)に、三春田村氏仕官し、田村の重臣田村隼人の養子となった佐久間盛安(隼人正)の一族とする説等々・・・

・鷹巣堤屋敷 江戸期の庄屋佐久間又兵衛 

戦国期、三春田村氏は、同じ仙道地域の小豪族である、会津葦名、二本松畠山義継、須賀川二階堂、そして小浜城の大内定綱らも反田村氏となったため、四方を敵に囲まれることとなります。
それに対する備える三春領の中でも最重要拠点とみえて、戦国期の田村領で五十騎以上、足軽百名以上の与力侍が常駐した舘は、10舘位だと記録されていますが、その中でも最大規模といわれています。

いづれにしても、三春田村氏が、戦国時代を乗り切るために、最も信頼する最強の精鋭部隊である佐久間一族を北方守護として配置したことには変わりはありません。
戦国期の終末、太閤秀吉による「奥羽仕置き・田村仕置」にて田村家の改易後は、知行地に帰農し、代々実沢村の名主・村司を勤めてきました。











田村四十八舘 

澤石村(三春町沢石)五舘跡



正楽舘 

舘主 渡邊雲龍斎




御舘

舘主 橋本玄蕃




長根舘 


舘主 佐久間伊勢守 後、青石舘に居住





臺(むろ)舘

舘主 佐久間豊後




新舘

舘主 某氏若狭







富沢 
 富沢伊賀は、富沢衆と呼ばれた「北方与力五十騎」の大将として戦国末期まで三春の北方を守護していました。
後に、田村家中が伊達派と相馬派に分裂した時に、富沢一族は、相馬派筆頭の小野保・小野城主田村梅雪斎に組し、小野城城代衆(三十六騎衆)と小野城下に移住します。

富沢氏移籍後は、実沢館( 実沢字開宝山)、実沢新館(実沢字館腰)主の佐久間氏が北方警備を司ります。

・江戸時代 旗本5千石秋田氏 富沢

・実沢地名の由来
大御神(義良親王・後の後村上天皇)の“徳實恩澤の利益”を感謝する意味を込めて實澤(実沢)としたと伝えられ、毎年この由来のとおり、徳實恩澤によって、五穀豊穣と世界平和があることへの、祈願と感謝で、村人総出の春秋の祭礼が挙行されています。





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:30 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::講話集 |