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三春物語177番 「曹洞宗秋田山龍穏院」
  「曹洞宗秋田山龍穏院」“四諦(したい)四苦八苦“
北国三春も梅雨が明け、木々が今を盛りに夏の暑さを楽しんでいるかのようです。
そんな夏の喧噪をよそに、涼しげに佇む荒町曹洞宗秋田山龍穏院は、三春藩主秋田家入府の時、前領地常陸宍戸より三春へ移したと云う禅宗の古刹で、鎌倉期蝦夷管領、日ノ本将軍と呼ばれ、北方に覇を唱えた安倍家の末裔、三春五万石安東(安藤)秋田家十一代の菩提寺です。

江戸期の秋田家藩政を通じて藩主菩提寺別格寺として隆盛を極め、その伽藍は寺院の多い三春でもひときわ荘厳で、歴史の重みと伴に、三春五万石の威厳を感じます。

平均寿命の短かった江戸期、藩主はじめ領民が生きる支えとして仏教へ帰依し、心の拠り所として信仰を集めました。
幕末、三春藩の終焉とも言うべき、戊辰戦争三春無血開城後は、藩主が恭順の意を表す為御座恭順し、その後西軍の病院として使われ、三春秋田家のその始まりと終わりに重要な役割を果たしました、今も境内には西軍として戦に参加した館林藩士の墓があります。

ご本尊の釈迦牟如来は、今日まで三春に生きる私たちを導いているようです。

 龍穏院には、お彼岸の時だけ掛けられるという、土佐断金隊隊長美正貫一郎の書いた掛け軸があります、私も多少のご縁があり時折足を運んでおりますが、仕事柄彼岸の頃は仕事に追われその掛け軸をまだ見る機会に恵まれておりません。
美正貫一郎という人は、幕末戊辰戦争に於いて会津藩に就くか、薩摩長州土佐を中心とする西軍に就くか、未曾有の混乱の中で三春藩が選択を迫られた時、三春攻め直前に三春藩恭順派を受け入れ、戦塵から三春を救った土佐藩士です。

四諦、四苦八苦という仏教用語があります、老、病、死、そして生という時間的な苦しみの四苦と、空間的な苦しみである愛別離苦(愛する者との別れ)、怨憎会苦(憎い者に合う)、求不得苦(欲求不満)、五蘊盛苦(ものを持余す)を加えて四苦八苦と言います。

私たち人間は、この世で生き抜く為にはどうしてもこの四苦八苦に遭わなければなりません。

しかし、その四苦八苦を素直に受け止め、この四苦八苦が在るおかげで人間として成長できる様に、負として受け止めるのではなく、四諦を業としてプラスに変えて受け止めることによりこの世に在る私たちを導く指針になるでしょう。

「自分を見つめ、自分に話し、自分で答える」

三春和合会短冊より
                合掌

三春昭進堂 髙橋龍一


| ryuichi | 22:28 | comments (0) | trackback (x) | 三春城下荒町::秋田山龍穏院 |
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