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富澤村石田 小社 生田神社 御由緒調査書 社掌 飛田昭辰 参照




三春城下の北、富沢村石田にある

生田神社は、「こじらさま」と呼ばれ、蚕養神を祀っていました。

現在は、豊受姫神・稚産霊神、そして埴安姫神を合祀して祭神としています。








富澤村石田 小社 生田神社 御由緒調査書 社掌 飛田昭辰 参照

祭神 豊宇気姫神(豊受姫神) 埴山姫神(埴安姫神)

往古鎮坐の由緒不詳

中古 弘活永禄年間、三春城主田村家の幕下に武田隼人と云う者がこの地の住居していました。
右武田氏の氏神社です。

然るに、我国慶仁以来七道分離し争乱相踵(そうらんあいつぐ)いでいる天正年中に及び伊達政宗東北の屈強し安達郡小濵(岩代小浜)城に在りて諸国を略取せんとす故に、我が村里の如きは郡境接近の地にして、その衝路に当たり、田村家の幕下皆攻め、滅さる。

田村家救ふ能わず。

茲(ここ)に於いて武田隼人は浪人となる。


天正十八年、太閤秀吉公が小田原城の北条氏政を退治に御發向有之此時、奥州一国御攻めに相成り政宗をして藎押領地厭納めを命ぜられ、奥羽鎮厭の為会津仙道十一郡を蒲生氏郷に封ぜられ、伊達政宗は旧領米沢長井庄に退城する。


時に、田村郡も会津蒲生領となる。


此の時に及んで四隣安堵無事の日に及び、武田隼人浪人中は浮浪中に死亡しますが倅の武田隼津と云う者は富沢に帰国して弓矢を捨てて帰農して農民となります。

以後、氏神社を修繕し子孫相続して元和三年に病死す。


右隼津の墓標は富澤平生田八升蒔田にありその子孫が現在迄八戸相続して二十四戸の氏神として在り上古の通り繁栄するなり。

明治三十五年十二月二十四 社掌 飛田昭辰(宸)







三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:12 | comments (x) | trackback (x) | 旧沢石村::富沢 |