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塵壺365号   「垢潜(あかしろ)集落之沿革と佐久間氏の由来」 令和3年12がち発行





 「垢潜(あかしろ)集落之沿革と佐久間氏の由来」

 沢石「さわやか学級」様に於いて「三春の歴史」のお話をするご縁がありました。

後日、沢石に伝わる貴重な寺社古文書をお借りすることが出来ました。

 「明治三十五年旧澤石村各神社御由緒調査澤石村役場」、「縣社加列願高木神社」、「垢潜集落之沿革」、「現人神社覚書(あらひとじんじゃおぼえがき)」、「沢石村内にある寺社仏閣由来書」等々、はじめて目にする資料です。
 その中に、沢石の佐久間氏に関する興味深い資料が含まれていました。

 先の講演会の時も佐久間姓の多い沢石でのお話で、諸説ある沢石の佐久間氏の由来を調べて伺いましたので、その地域ならではの口伝や言い伝え等々まだまだ調べること(知らないこと)が沢山あると思いました。






 佐久間氏の歴史的背景からの由来としては、本姓は藤原姓を名乗り、播磨国(兵庫県)守護赤松氏に仕えて、知行地の播磨国佐久間郷から佐久間姓を称し、赤松滅亡後(後常葉城主赤松越前守顕則家系)に三春田村氏に仕官したとする説。

 もう一つ、旧織田家家臣 柴田勝家の麾下与力佐久間玄蕃盛政(鬼玄葉)の二男で、柴田家滅亡(親子の中が悪く)に、三春田村氏仕官し重臣田村隼人の養子となった佐久間盛安(隼人正)の一族とする説等々・・・

 室町時代から約100年は続く戦国動乱期の富澤には三春田村氏の防御の要として“田村四十八舘”の一つ、出城「実沢舘」があり舘主実沢山城守が居住し北方守護与力五十騎を統括していました。
 後に、北方守護は田村家一族、富沢舘の富沢氏となり、さらに舘主も佐久間氏(村司佐久間右京太夫の記載が高木神社由来に在り)となり明治維新まで名主として治めます。


 織田信長亡き後天下人となった太閤豊臣秀吉による「奥羽仕置・田村仕置」にて三春田村家の改易となりますが、田村旧臣のほとんどが伊達氏について行かなかったように佐久間氏も富澤・實澤、青石当自分の知行地で帰農し、代々村の名主・村司を勤めてきました。






今回お預かりした資料「垢潜集落之沿革」という書物の中に記載された垢潜の佐久間氏の由来を伝える事柄が記されています。

 平将門が朝廷に反旗を翻し関東一円を手中に収め、自らを「新皇」と自称しますが、平貞盛、藤原秀郷らによって討たれた「平将門の乱」(939年)。

 佐久間氏一族は、平将門の麾下の武将として、「平将門の乱」に参戦しますが将門の敗戦と共落人となり、朝廷より追われる身となります。

 この際に、太平洋岸を一族(佐久間氏)が奥州地へと逃れ、今日の平方面より阿武隈の山脈を越えて岩代國田村領に入り身を潜めて暮らしていました。
 後に小野町辺りに一時「舘」(豊後舘の地名?)を造り住んでいた様な話もありますが詳細は記されていません。

 さらに佐久間伊勢守、豊後守、そして四郎兵衛兄弟十数の同志・家来など一族郎党共々現在の地(垢潜地区)に安住の地を求めました。
 以後約500年もの間「火雷神」を守護神として祀り、一族の墓所を造営して今に伝わっているとしています。








 「垢潜(あかしろ)」という地名は、守護神一族共々にこの地を定めるに際し、武家を捨て武将として戦いに明け暮れた今迄を懺悔(ざんげ)し、戦塵の垢を一切洗い落とすことでこの地を安住の地として潜めたことから「垢潜」と名付けたとしています。

 時は戦国時代です。一族郎党を守るために「長寝舘(富澤舘とも云う)」を造営、畑道を造り生活しながら東西南北に現地を開発してきました。

 そして、田村領主三春田村氏とも交誼をもたらすようになり、北方の備えとして防御の要である富沢(現沢石地区)の守りに仕えます。

 年代は不明ですが長寝舘から移川を越して東方の守りに今の「青石」に出城として舘を築き垢潜から分家、連絡を取りながら山を開き後世に青石村となります。

 明治になって火雷神社の秋祭りには九反(10メートル余)の大旗を立て、垢潜集落「雷神様の旗」の音は實澤、青石、初森へと聞こえたそうで、元来な豪傑も居たもので集落の団結力は察するに余りあると記されています。


 時系列的な再考察も否めない姓氏由来の中で、少しずつ歴史のパズルが繋がっていくようです。









田村四十八舘 

澤石村(三春町沢石)五舘跡



正楽舘 

舘主 渡邊雲龍斎




御舘

舘主 橋本玄蕃




「長寝舘(富澤舘とも云う)


舘主 佐久間伊勢守 後、青石舘に居住





臺(むろ)舘

舘主 佐久間豊後




新舘

舘主 某氏若狭









      蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝


| ryuichi | 04:36 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |