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塵壺第366号  三春人形(張子) 令和4年新春1月




塵壺令和4年1月号 三春人形(張子)

腰高虎、牛乗り天神、手習草紙、鯛上げ恵比寿、千両牛乗り恵比寿、春駒・・・「三春」らしい店内装飾として多くの三春人形(張子)を店内に配しました。
城下北町の中屋商店の先々代様のコレクションをお借りした「三春人形」たちです。





以前ある雑誌に当店が紹介された折に「店内で三春張り子人形がお出迎えしている・・・・」と記載されていました。

当時、三春だるま市で買い求めた三春ダルマや干支張子を飾っていましたが、この記事を見て「三春」にちなんだ調度品の店内装飾で統一した方がより三春らしさになり、お客様に三春をより一層楽しんでいただけるのではないかと考えて、旧三春農協の組合長だった故古川悟郎氏の収集した故小沢太郎氏作品数点を、悟郎氏の娘さんで“天狗谷の母”と慕う橋本和子さんからお借りして店内に配しておりました。






この度、年代物の新しい仲間たちが加わり、ご来店されたお客様にご覧いただけたらなあと思っております。


三春張子人形は、諸説ありますが、上方の影響を受けたとされる上品な張り子の人形で、見れば見るほど、素朴さと華麗さを兼ね備えた三春の素晴らしい郷土玩具で、世界に誇れる宝だと思います。


これらの三春人形は、江戸時代、三春藩領だった旧高柴村(現郡山市西田町高柴)の住人によって作られはじめました。

明治維新後、文明開化のあおりを受けて古い郷土玩具は新しい時代にそぐわないと冷遇されたり、人形制作に使用される染料にも制限が加えられたりしました。





これにより「デコ屋敷」の張り子や三春駒(木駒)の需要衰退と共に製作・販売も衰えはじめ、ダルマなどがわずかに制作されるまでに衰退していましたが、昭和30年代になって柳宗悦らの推奨する「民藝運動」の影響を受けた大阪のコレクターである本出保治郎氏に力づけられた高柴の人々と故小沢太郎氏がこれを復興させ、現在に伝わっています。

現在では、優秀な後継者の方々が三春だるまや各種のお面、干支の縁起物をはじめ、雛人形や歌舞伎・浮世絵に題材をとる様々な新旧取り混ぜた人形まで多くの種類を製作販売しています。



人形が成立した時期などについて、正確なところはわかっていませんが、江戸時代、文化・文政のころに最盛期を迎え、その当時、非常に優れた人形が作られていたことがわかっています。


高柴の人形師が三春の藩主秋田公の庇護を受けた事は、口伝や、僅かに遺る古文書に徴しても疑う余地のないことではありますが、藩と人形師との間にどのような形で、どの程度の関係があったか等の詳細には解りません。



また、会津藩における「赤べこ」、米沢藩における「笹野彫」などのように下級武士の内職として発達したというような様子はありませんが、口伝によると人形師は三人扶持を給され、城下神社祭礼の際は鳥居内の店張りを特に許されるなどの特典を与えられていたようです。しかし、人形師の身分については士農工商のいずれにも属さぬ、特殊な存在として取扱われたのではないかと思われる節が残されています。


店内の三春人形は、時節によって入れ替えをして様々な三春人形を楽しんでいただこうと考えています。

ご来店の際にはごゆっくりとご鑑賞いただければ幸いです。






三春町郷土人形館(三春郷土人形館・橋元家と白石家の座敷蔵)では、戦前、東北大学の学生(当時)だった、中井淳氏(後関西学院大学教授)と高久田脩一氏(後旧制田村中学の教師で、橋元四郎平氏は高久田氏の教え子)の二人が、三春人形の廃絶を危惧し、私財を投じて収集してくれた、いわゆる「幻のコレクション」と称される「らっこコレクション」を収蔵し、年代物の三春張子人形・三春駒、そして、東北地方のこけしや土人形を展示しています。


尚、「らっこコレクション」とは、二人が仲間たちと住んだ家に名づけた“羅虎山塞(らっこさんさい)”にちなんでいるそうです。


     蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!   拝


| ryuichi | 05:07 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |