CALENDAR
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     
<<  2024 - 04  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春物語131番 「笠松地蔵」 甚十郎・紋十郎地蔵 貝山




お地蔵様、三春に限りませんが、お寺や街道筋、集落の傍らに多くあります。

とくに農村部では、子育て地蔵、延命地蔵、一時地蔵などたくさんの地蔵が祭られています。

それらは、農民の生活にとって切っても切り離せないものがあり、そこには祈りと冥福そして平和と感謝、繁栄などがあります。

その中で、人々の願いや悲しみを訴える場所として、野中の地蔵様は人々の見方だったのでしょう。

無言ですが、その平穏な顔は、童顔とも言うべき微笑を浮かべてやるせない母や嫁たちの愚痴や願いを素直に聞いてくれています。


笠松地蔵もそんな地蔵尊の一つです。

三春城下の南に、旧貝山村がある。

そこに大きな松が笠になりお地蔵さんを風雨雪から守ったと言われる「笠松地蔵」が安置されている。

子授け、安産、子育てに効験があるとされている。








甚十郎・紋十郎地蔵 (現笠松地蔵尊)

 貝山郷に、甚十郎・紋十郎地蔵と呼ばれる地蔵があり、義民伝説が伝えられている。

元禄年間のことである。貝山村に義に篤く智に富んだ甚十郎と紋十郎という若い百姓がいた。

その年は、日照り続きでひどい水不足だった。

特に村内「前ノ久保」のように天水田では作付けが出来ずに困り切っていたと云います。

そこで甚十郎と紋十郎の二人は、この前ノ久保水不足の救済を何とかしたいと考え、同じ村内にある井堀田の水を引くより方法がないと、時の庄屋に申し入れたが、水源が低いからと聞き入れてはもらえなかった。

何度も何度も懇願したが相手にもしてもらえず、百姓たちの落胆ぶりは見るに忍びなかった。

百姓たちは命の綱が切れたようにがっかりした。

二人は見るに忍びず、自ら水路をつくり始めた。

百姓たちも生き返ったように元気をとりもどし、喜んで協力したので工事ははかどった。

縄引き目別の測量であったが見事に立派な堀ができ、水はとうとうと流れてきて田植えができた。

その時の百姓の喜びはひと通りではなかった。


これを見た庄屋は面目丸つぶれ、心中おもしろからず、この二人を目の仇としていた。

二人は、その年のご上納米の時、五升何合の不足、となって、おかしいと思ったが、これを弁納した。

次年度も同じ様に五升何合の不足という。

算に明るい二人は今度は承知せず、村中の田園を再測量することを決意した。

はじめにその起点を庄屋の家の中心からとることとしたが、生屋では恐ろしい大犬を飼ってこれを防害していた。

二人はしばらく床下に隠れて避り出し、苦心に苦心を重ね遂にこの大難事業をなしとげ、庄屋のごまかしであることがはっきりわかった。

重ね重ねの庄屋の不義不徳で、徴の情やる方なく領主への直訴となった。

昨嘩両成敗で庄屋は転封、二人は国払いとなった。

それでも直派という大罪にしては寛大な措置であったという。

二人は無木村桜や清水という所に追放されたが、何用あったか領内に入ったのを役人に見付けられ、捕らわれくこの大量の目置のよて投獄された。

これを聞いた福聚寺の和尚は法衣をかけて助けてやろうとかけつけたが、時すでにおそく、斬首刑に処せられこの世の人ではなかった。

和尚は無念に思い二人のなきがらを引き取って境内に葬った。

元禄十五年旧三月四日であった。



橋本門十郎 十六歲(祖善章)、渡辺甚十郎 十八歳(祖功)、二人の若妻も夫のあとを追い自害した。

村人は二人の義徳に感泣して堂守を設けて地蔵尊を配った。


いまなお部落を守護するかのごとく、笠松地蔵としてたたずんでいる。


(中郷老寿会への聞き取り)




三春城下藩主祈願所真照寺参道 御菓子司 三春昭進堂菓匠蒼龍 





馬頭観音の石仏です。






不思議な手形の石像です

| ryuichi | 06:22 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::貝山・春田・春沢 |
コメント

コメントする