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塵壺368号「中世の商人 坂東屋富松四郎和泉守氏久」 令和4年3月発行





塵壺368号「中世の商人 坂東屋富松四郎和泉守氏久」 令和4年3月発行


 室町時代、南奥州から北関東で活躍した豪商・坂東屋富松四郎和泉守氏久(富松という名称は世襲)がいました。

商人でありながら和泉守(前・左衛門尉)という官位を拝領し、当時の営業活動全般が取り仕切られている“座”から奥州諸大名を相手に、熊野新宮参詣を案内できる権利「先達職(せんだつしょく)」を購入し「熊野先達職」を保有していました。

熊野先達職というのは、田村庄を管轄する熊野へ行く際に、旅程にある各関所の通行手形の発給手続きや、道中の宿泊施設の手配など現在の旅行代理店業務をすることで手数料を徴収する観光業者的な役職です。

坂東屋富松は、室町幕府より、もう一つ大事な仕事を任されていました。







 それは、室町幕府の将軍職就任や家督継承等の各種慶事の祝い、そして奥州諸氏の京都へ入洛する際の御礼や心配りの付け届け、御祝儀等々を督促・集金して廻ること、さらに、将軍の名前より一文字の拝領や、武将官位の下賜による叙位任官等への勧誘及び申請などを幕府執政に成り代わって行うことでした。


武将官位とは、田村大膳太夫清顕、松下石見守長綱、安東秋田城介實季などに見られる「○○太夫」「○○守」「○○介」のことで「受領名」「官職名」など表されています。


この叙位官位には、幕府への金品の授受が必要とされ、衰退していた室町幕府にとっては正当な財源の一つで、坂東屋富松はその報酬として手数料を取っていました。


伊達政宗の曾祖父である伊達植宗の従四位下・左京大夫任官及び陸奥国守護補任には富松氏久が・・・・

植宗の子晴宗の左京大夫補任やその子輝宗の韓字拝領などの際には富松与一が・・・・

さらに天正十六年、豊臣秀吉の奉行衆の一人で富田一白の書状を伊達政宗のもとに伝えて上洛催足の役を務め、翌十七年から十八年には伊達政宗の元へ伊達氏による会津葦名侵略に対する秀吉の意向や、上方の政情を伝えたのも坂東屋道有・・・というように、坂東屋富松の事業継承者による仲介がありました。

尚、伊達植宗は、坂東屋富松を駆使して官位取得、さらに奥州探題職就任を目指して、巨大山城・桑折西山城を築城して最新の防御設備をすでに備え、信長より先んじて家臣の城下集住も行い、伊達の領土拡大と武家のみならず民衆にも適用される法令を整備した新たな国づくりを行っています。

また、昨今の城ブームの中で“信長より三十年早く城下町を造った武将”として注目を集めています。








「祐玄熊野先達代官職預請文」(青山文書・永享二年)「奥州田村庄熊野先達之御代管領状之事」を見ますと荘園制度の中の熊野新宮領(荘園)で、後の三春藩領の母体となる田村庄の熊野先達との其れなりの関わりが記されています。

室町中期の永享二年(1430)、田村庄熊野先達の代管職を入質して流した田村大蔵祐玄がこの代官職を「坂東屋のつし」から預けられたことに提出した証文が記載されており、今後は先達として参詣の度に一人500文ずつの上分を坂東屋に納めることが記されています。


また、康正二年(1456)「乗々院役者連署奉書」(青山文書・嘉吉元年)には、田村庄司遠末一家(三春田村氏系統?)先達職を湯上坊(磐城守山大元帥明王山内)から買い取った坂東屋道公が田村兵部公へ譲与してその任を安堵したもの。

さらに大永五年(1525)の売券では「田村三分一御道者」の先達職を小祭刑卿覚清が蒲倉蓮光坊(蒲倉大祥院?)へ売却の際の請人に坂東屋富松がなっていると記されています。


板東屋富松は、伊達家だけでなく、田村庄田村氏、白川荘白川氏など他の奥州領主の下でも自身の商売として働いているようで、坂東屋富松の南奥州に於ける活動は現代の総合商社的な役割を担っており、東北北関東の諸大名家への営業活動も、当時の政治経済の中心である京都との文化経済の流通を担って室町幕府とくに政所と深い交渉をもったものとみられています。


これらの活動は、室町時代の中期には始まっており、室町幕府減亡後、豊臣政権とも関係を保ったことから徳川幕府成立前後まで約百五十年は続いたと思われます。

参照文献「坂東屋富松と奥州大名」小林青治(福大史学40/1985.11)









蒼龍謹白  コロナ退散祈願 さすけねえぇぞい三春! 拝







舞木のお稲荷様「初午大祭」 高屋敷稲荷神社 



     令和4年3月6日(日) 祭典 午前10時より

 初午の日の参詣は「福詣り」とも言われ、「福」が授かると言われております。

新型コロナウイルス感染拡大防止から、新しい参拝方式を取り入れて皆様の御参詣をお待ちしています。


「初午」は、和銅4年(西暦711年)2月初午の日(旧暦2月最初の午の日)に、京都伏見稲荷山に稲荷大神様がお降りになられたことに由来しています。








問い合わせ 高屋敷稲荷神社 ☎024-943-6396 郡山市白岩町高屋敷



| ryuichi | 04:07 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |