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 「西方霧舘」三春千葉氏 鎌倉殿の13人



    

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 三春千葉氏

昨夜は、源頼朝による平家追討戦に於いてターニングポイントとなった佐藤浩市さん演じる上総介廣常、そして、岡本信人さん演じる下総国の千葉一族の中興の祖と言われる千葉常胤(ちば・つねたね)も重要な役割で出演していました。

千葉氏も上総氏も共に平将門に縁のある平氏一門です。

千葉氏といえば三春千葉氏の祖でもあります。


千葉氏は、鎌倉時代、南北朝時代を経て室町幕府後期まで繰り広げられた坂東武者を巻き込んだ長い戦乱の世にあって戦国期に下総から撤退して全国に離散しますが、その一家が三春に住み着き、田村氏の配下となったと考えられています。

古の昔「西方の霧舘」と称された舘がありました。

 戦国時代の天正年間、三春城主田村氏の構築した防御要の出城、いわゆる「田村四十八舘」の一舘で、その重臣千葉紀伊守(桓武平氏、後の坂東八平氏・関東八屋形の一つ下総千葉氏の末裔)が城主を務めた「西方舘」です。

 西方霧舘の在る西方村は、三春城下の南部に位置し、大滝根川沿いの山麓にある西方霧舘址は、今でも寒暖の差が生じる時節には霧が立ち込め、「霧の舘」の幻想的な姿を彷彿とさせてくれます。

"中妻文化財を守る会"の案内板によれば、「東に大滝根川南西は急崖の要害の地で山裾にある"行井戸"より立昇る霧がこの城にたなびいて神霊を崇めて霧舘と称し、峯続きにある千葉氏の氏神である北辰妙見宮(尊攘王)が、この舘(城)の守護神であるという」と記されています。

現在の千葉市にある妙見本宮千葉神社の御分霊とされています。

千葉神社は、「通称・千葉の妙見様」と呼ばれ千葉氏の守護神、北辰妙見尊星王を主祭神として長保2年(1000年)に北斗山金剛授寺として中興開山されました。

千葉氏の祖・平良文が守護神として御尊体を迎え、嫡孫の平忠常に至り現在地に勧請されました。

 

西方村内にある「西方不動堂」は「おてはんにゃ様」と呼ばれ、旧歴三月十五日の祭礼には「般若経」六百巻が転読され、参拝の村人の額には墨の角印を押してもらい無病息災を祈願します。



さらに、「乳付け観音」と呼ばれる馬頭観音堂も鎮座しています。この観音様は「馬産安全」「子孫繁栄」に霊験あらたかで、田村地方では小野の東堂山と並んで信仰され、かつての祭礼は旧三月十七日で、西方の各戸では、団子を持参して参拝者に「団子撒き」をしていました。
 
その祭礼は大変賑わっていたと伝えられ、御手洗の水に笹を浸して神前に供えておき、参拝者にこの笹と、小さな板に馬の走る焼き印を押して配ります。

これは、馬が丈夫に育つようにと、たてがみに結んでいたとされています。

また、仔馬が乳を飲みつけないときに参詣すると乳を飲むようになると伝わっています。
 
尚、堂の内外には江戸期三春の馬画名匠と云われた徳山研山の書かれた大絵馬をはじめ四十六面の親子絵馬が奉納されています。



 毎年元旦に同地区で開催される、「西方水かけまつり」
古老の説明によれば、西方城主千葉紀伊守が、配下の与力や領民の士気を鼓舞するために始めた祭事といわれています。
 
この祭りは、大滝根川に沿った三春町西方地区の塩釜神社で、子孫繁栄と五穀豊穣祈願のため、三百年余りの伝統を持つ小正月の行事で、以前は小正月の十五日に行われていましたが、現在は正月元旦に行われています。
 
まず、前祝いの酒宴がもたれ、頃合いを見て全員がまわし一つの裸となり、村を流れる大滝根川に入って禊ぎをします。続いて一同うち揃って塩釜神社に参拝し、一気に行井戸にかけおりると、地区内の田んぼに入り桶やバケツで泥水を掻け合います。

 この水かけの神事は、村に疫病が流行ったとき、水場(行井戸)から霧が 立ち上り、まもなく疫病が治まります。一村全滅にもなりかねなかった疫病が、霧のごとく消滅したことを村民皆で喜び「これは西方鎮守塩釜神社神霊の加護に相違ない」と、村民が「水祝いの行事」で水垢離(みずごり)をとって御礼参りをしたことに始まったと言われています。

 

| ryuichi | 04:47 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中妻村::西方 |