2009-06-24 Wed
馬場の湯の下、尼ヶ谷に三春城下六地蔵の一つ「正徳地蔵堂」があります。
その傍らに「天女碑」と刻まれた文化十二年建立の石碑が建っています。
これは、江戸期秋田藩政下、三春藩では武家のたしなみとして謡曲、能を奨励していました。
三代藩主秋田信濃守輝季公は、元禄十年江戸城で猿楽が催された際、将軍の御前で能楽「鶴亀」を演じています。
また、現三春小学校にあった「御殿」と呼ばれた藩邸内には能舞台もあったほどです。
太元帥明王の彫刻には、「海人」「鯉仙人」など謡曲に題材を求めたものが刻まれている。
能、謡曲に熱意を込めた藩士たちが、建てたのがこの「天女碑」で、上達を祈願したのもです。
天女という碑名は、三保の浦で漁夫白竜が天女の羽衣を見つけ持ち帰ろうとするが、天女の嘆きをみて羽衣を返し、天女は舞いながら天に帰るという能の代表作「羽衣」から採ったものでしょう。
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