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三春物語165番 三春城下大町 王子神社


三春城下 王子神社

三春城下大町鎮守 王子神社
明治以前、旧王子大権現もしくは王子ノ宮と呼ばれていた現王子神社は、戦国期までは、三春舞鶴城内にありました。
後、江戸期初頭に秋田俊季候が三春へ入府すると、紫雲山麓の現在地に移され大町の鎮守様として信仰を集め、春は桜の名所となって訪れる方々を楽しませてくれています。
「王子(おうし)」由来にあっては日本の創世記まで遡る様々な説が考えられています。
ここからは饅頭屋の解釈です。
 
その一つは、祭神である「豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)」は、『日本書紀』によると、崇神天皇48年、豊城入彦命は、時の天皇崇神天皇の命を受け、東国に派遣されたとあります。
神話の中に登場する、豊城入彦命の東国下向の逸話は、四道への将軍派遣をしたとされる「四道鎮守将軍」に関連していると考えています。
それは、大彦命を北陸道に、武淳川別を東海道に、吉備津彦を西道(山陽道)に、そして丹波道主命を丹波道に派遣という名の侵攻は、畿内の朝廷による日本平定に関係するのではないかと考えられていますが、王子「三輪山の神」としての豊城入彦命の東国への侵攻派遣とは、恐らくは皇子を東国へ派遣し、社を造り神様として祀ることによって、畿内の「大和朝廷王権」の力が東国へ広く及ぶことを期した戦略であったのではないでしょうか?
 
これは饅頭屋の推測の域を脱しないものではありますが、後の三春藩主となった秋田家の系図を見ると、「荒吐族(アラハバキ) → 安倍氏 → 安東氏 → 秋田氏」と繋がり「日ノ本将軍」を名乗り、大和朝廷に抗したという史実の中で、何か因縁めいたものを感じます。
 もう一つは「王子」という神社が全国に分布しています。
それは、牛頭天王(ごずてんのう)と8人の王子をまつる信仰の広がり全国に信仰を集めていました。
 牛頭天王をまつる牛頭信仰は、もともと仏教とともに、今のインドから中国を経て伝わってきたものとされています。日本では、疫病や農作物の害虫そのほか邪気を払い流し去る神として、古代より信仰を集めていました。
中世には、その8人の王子を“眷属(けんぞく)”(主神に従属する神)として、人間の吉凶を司る八方位の神である八将神として全国に広がっていったといいます。
王子大権現は、その王子(眷属)の一人を祀ったとされています。
 
もう一つ、平安朝に最盛期を迎えていた熊野詣、「蟻の熊野詣」と例えられていますが、王子とは熊野権現(今の熊野大社)の遥拝所のことだとも考えられています。
今も和歌山県には多くの遥拝所である“王子”が残っていますが、戦国期の三春王子大権現は、城内ということで単なる遙拝所の王子ではなく、三春を含む田村庄が、熊野大社の荘園であったことに関係しているのではと想像しています。

このように、由来にまつわる諸説から古代のロマンが身近に感じているのは、私だけでしょうか・・・・

 それを知ってか知らずか、毎年境内の「おっしゃま桜」が美しく咲き競い私達の目を楽しませてくれています。
尚、近年完成した参道付近「磐州通り」が「町並み部門自治大臣賞」を受賞しています。
  
さすけねぇぞい三春!  蒼龍謹白 合掌



| ryuichi | 12:02 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下大町::三春城由来 |
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