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「牛縊城」田村四十八舘



「牛縊城」田村四十八舘


三春城下の南西、二里余。

旧牛縊村は、戦国大名三春田村氏の要害「牛縊城」田村四十八舘があり。

城主・牛縊五郎右衛門が城主を努めていました。






牛縊本郷と過足に挟まれた地形にあり、その山城(舘)の形状は牛の臥牛(寝姿)に形容されます。

本郷という地名と過足側には下屋敷という地名が残っています。


戦国の三春城主三春田村氏の四代目となる田村 宗顕(たむら むねあき)は、


伊達政宗正室の愛姫の父、三春田村三代清顕の弟・田村氏顕の子となります。

叔父である田村清顕が天正14年(1586年)に嗣子のないまま没すると、家中は田村家の後見を、清顕夫人の里伊達氏派と、清顕の生母の里相馬氏派に分かれての勢力争いで分裂。

伊達氏派が政権を奪取して清顕の娘婿伊達政宗が後見します。

三春田村氏は、政宗の裁断によってによって、甥である宗顕が田村氏の当主(名代)・田村仕置となります。


天正18年(1590年)、太閤秀吉の小田原征伐に際し、宗顕は伊達氏の旗下と自認していたため参陣しなかったことで、豊臣秀吉に独立大名と見なされて改易されます。

後に、田村氏の改易は政宗の策略だと、宗顕は牛縊定顕と改名して片倉重長の白石城下で隠棲します。

名前を田村から牛縊に改名したかは不明ですが、乳母(母)が牛縊氏出身とする説もあります。


また、牛縊(うしくびり)の名前の由来も不明ですが、牛をつなぐから付けられていると私は考えています。







館下には、戦国時代初頭の天文16年(1547年)建立の牛縊山瑞雲寺があります。

天文16年と云えば、伊達氏の「天文の乱」が起こっていたころで、伊達氏と会津芦名氏の仙道進出を阻止すべ、く三春田村氏2代田村隆顕公が畠山氏、石橋氏と共に会津芦名方の安積郡諸城を攻めて10のヶ城・舘を陥落させています。










三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:21 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |