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相馬中村城跡・相馬中村妙見神社



相馬小高城跡・小高妙見神社


元享3年(1323)に相馬孫五郎重胤公が下総国から当地へ御国換となった際、氏神として尊崇していた妙見神を、小高城内に祀り創建、慶長16年(1611)に廃城となってからも妙見社として祀られてきたといいます。

明治維新後の神仏分離により小高神社と改称、明治31年県社に列しています。


相馬太田神社、相馬中村神社とともに相馬三妙見社の一つとして相馬野馬追が当地から出陣することでも知られています。







 相馬氏は千葉介常胤の子・師常が下総国相馬郡を本拠として相馬氏を称したことに始まります。

初代の師常は、父・常胤が奥州合戦の勲功に賜った陸奥国行方郡などを譲られ、子孫の相馬重胤が鎌倉時代末期に奥州に下向して奥州相馬氏となりました。

また、下総国相馬郡に残った一族は下総相馬氏として発展し、相馬氏は奥州と下総に分かれました。




小高城は、奥州相馬氏が下総国から移った鎌倉時代の終わりころから江戸時代の初めまでの約280年間、奥州相馬氏の居城でありました。奥州相馬氏はこの城を拠点として、南北朝の動乱や伊達氏との抗争を繰り広げました。







 奥州相馬氏は南北朝期には北朝方(足利尊氏方)として活躍し、戦国期には伊達氏と抗争を繰り広げております。


江戸時代になり、相馬氏が中村城(相馬氏)に移ったあとも妙見が祭られており、明治時代に小高神社、戦後に相馬小高神社と改称しました。


時代は下がって、天正18(1590)年の小田原の役では奥州よりはるばる参戦して所領を安堵され、江戸時代には中村藩主家として明治時代まで連綿と続きました。








現在は、国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の3日目の野馬懸の祭場地として広く知られており、その江戸時代の様子は、相馬小高神社に奉納されている県指定有形文化財「相馬野馬追額」などからうかがえます。



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| ryuichi | 04:07 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録 |