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三春物語187番「富沢舘」 北方与力五十騎 富沢衆
 

「富沢舘」北方与力五十騎富沢衆
三春城下の北方、二里余りに富沢という集落があります。
この一角、三春町立沢石小学校付近聖楽地区に、戦国大名田村氏を支えた田村四十八舘の一つ、北方の要害「富沢舘」がありました。

この舘は、同じ仙道地域の小豪族である、会津葦名、二本松畠山義継、須賀川二階堂、そして小浜城の大内定綱らも反田村氏となったため、田村氏は四方を敵に囲まれることとなった。
それに対する備える三春領の中でも最重要拠点とみえて、戦国期の田村領で五十騎以上、足軽百名以上の与力侍が常駐した舘は、10舘位だと記録されていますが、その中でも最大規模といわれています。



城主は、時代ごとに、富沢玄蕃、富沢伊賀、さらに、田村重臣橋本刑小輔部を大将として天正十二年に勃発した「初森の合戦」時には、田村勢の負け戦となった際に敵将小浜城主大内定綱に生け捕りにされた富沢式部の名前があります。
 富沢伊賀は、富沢衆と呼ばれた「北方与力五十騎」の大将として戦国末期まで三春の北方を守護していました。

現在、舘本丸の南には、大山祇神社、蛇神、そして稲荷様が鎮座しています。




| ryuichi | 04:36 | comments (0) | trackback (x) | 旧沢石村::富沢 |
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