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「今泉神社」 由緒  (境内の石碑参照) 田村庄 船引町今泉鎮座




今泉神社 田村市船引町今泉字砂田

由緒  (境内の石碑参照)

当社は、武甕槌大神を奉斎し、霊現新たかにして「氏子繁昌」「悪魔免消除式神」として皆人の知るところなり、




その由来と尋ねるに五代桓武天皇の延暦年間に奥州に大多鬼麿という逆臣の党類を催し旧城を浸さんとせし、先鋒は既に常陸國に乱入、頻りに天聴脅かしたれば、従四位御霊季頭坂上刈田丸の子田村麿に追討の勅を賜えしかぞ





即ち刈田丸に下向う折柄道に賊党合戦し遂に高野原に迫りさらにもう陳居退治し、評定教数日に及べり、これより大滝根岩屋迄は山茂り茨の道開きし、他の山岳なり、諸卒くっして困為をみつける。田村麿を采をふり遂に下向う甲斐空し帰洛るの他なきなり。





尊々下知せり、諸卒之に勇気百倍し藤に伝え岩角に取りつき追討。

多鬼磨は頻りに応戦難戦に陥り如何ともしがたく気をもみをつかす戦いけり




賊はついに散乱す、

しかれども暑中の事ゆい喉は乾き息は弾む、沢辺の水をのんだけるに賊は毒を流して飲むことあたわず、

この時田村麿は武甕槌大神を祈り我らを助けたよえして念じ、岩間を窺うければ湧ききいずるに「甘露の酒」なり、諸卒これを飲み一気を得てを賊を一時におい崩し、平定の砌大神の霊験にてここに御社を建立ありたりと伝えられる。




正中二年、新田市正藤原秀光に命じ里方より此の地に勧請。





今は泉にし地開墾をなさりと間伝の甘露路の酒は諸民飲む水なり

其の昔、申せし酒は今はもて今泉と命名村名となりせとか、御神徳の難ある汁なり







吉昔は田村家より社領の寄進等ありたるも没落及びて社領も消失せりしとぞ


右は明治八年三春藩庁に提出せる本文の写してある







三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍





| ryuichi | 04:18 | comments (x) | trackback (x) | 田村庄六十六郷 |