2022-11-06 Sun
岩井澤舘(城) 都路
舘主 赤石沢修理亮
天正17年6月10日、 相馬義胤は岩井沢城 (都路) に侵攻してを攻め落とします。
さらに、相馬義胤は、岩井沢舘に布陣し、 稲ヶ瀬・常盤城を攻めます。
城主赤石沢修理亮以下 300 人、 伊達の加勢桑折摂津守以下 300 人がこれを守備、 数日にわたり攻防を繰り返したのち、 相馬勢は外郭を落とし、三の曲輪をも破ります。
二の丸も危うく思われたころに、 田村宗顕は橋本刑部 田村宮内大輔に 500 を差し添えてここに入れたので、 本丸 二の丸は堅固に持ちこたえました。
.
天正17年6月11日、 会津の本城黒川 (後の若松) にはいった政宗はこの報に接して、伊達成実 白石宗実 ・ 原田宗時・平田周防守に3千を差し添えて三春に派遣し、さらに伊達 ・ 信夫・ 刈田・柴田の勢を150騎、 塩松に遣わします。
佐竹 岩城 ・ 相馬の軍勢は7月まで対陣したが、 三春を攻められずに、ついに帰陣した。
※赤石澤氏について、『奥相茶話(おうそうさわ)』の中に、慶長五年(1600年)草野の夜盗頭・赤石沢喜七郎の記載有。
この赤石澤氏との関連を調べたいと思います。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
TOP PAGE △