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三春物語163番 三春城守護「守城稲荷神社」
 

  守城稲荷神社
 三春初代藩主秋田河内守俊季公が、常陸國宍戸から三春転封の際に、「所願成就の神」として、重臣渡辺弥右衛門に命じて「宇賀御魂神」を三春城内畑山に勧請したのが始まりです。
後に、城内の中腹にあった中森出丸(現在の場所)に移転しました。
祭礼は、初午に執り行われます。



この守城稲荷にまつわる昔話が残っています。伝承には、
その昔三春藩士秋田季賢が、狐田村の稲荷さまに「願掛け」をし、願いことが成就しました。そこで、年の暮れの大晦日に、季賢がそのお礼参りをしたいと思いたが、藩の重役をしているため狐田稲荷に参拝することができませんでした。
そこで、今年中に御礼をしたいと狐田稲荷までは行けないが、城内にある「守城稲荷」に御礼参りをして、年明けに狐田稲荷に行くことを決め、守城稲荷にお供物として雉一羽や卵を奉納しお礼をして帰ってきました。
元旦の朝、登城して守城稲荷をみたところ、奉納したお供物が見あたらなかったそうです。
犬にでも取られたのであろうと思いつつ、正月二日には早々に狐田へ参詣に行きました。
すると、驚いたことに大晦日に城内守城稲荷に奉納した雉と卵が狐田稲荷の神前にお供えしてあったと云うことです。



「お稲荷さん」と親しまれている稲荷大神は日本人に最も身近な神さまで、殖産興業、開運招福、火防(ひぶせ)の守護神として、広大無辺のご神徳を慕って多くの人々に崇敬されています。
 「イナリ」の語源については諸説があり、「イナリ」は「イネナリ(稲成、稲生り)」で、稲が育つさまを表しているとも、「イネカリ(稲刈)」の「刈」が「荷」に誤られたとも、また「イナニ(稲荷)」が「イナリ」に転訛したとも言われています。
稲荷大神はご神名を宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と称し、「ウカ」とは「貴い食物」を意味します。つまり宇迦之御魂神とは、「稲に宿る神秘的な精霊」を表し、五穀をはじめ一切の食物を司る神さま、生命の根源を司る「いのち」の根の神さまです。
宇迦之御魂神は須佐之男神(すさのおのかみ)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)との間に生まれた神さまで、倉稲魂神とも書きます。
兄神には「大年神」がいらっしゃいます。父の須佐之男神は天照大神の弟神として有名ですが、母の神大市比売神はご神名に「市」をもたれるように「市場」や「流通」の神さまで、兄神の大年神は「大年(おおとし)」すなわち「大稲(おおとし)」の神さまで、私たちがお正月に「年神さまを迎える」という時の「年神さま」に当たります。
宇迦之御魂神は、「古事記」の大宜津比賈神(おおげつひめのかみ)や「日本書紀」の保食神(うけもちのかみ)と同神で、いずれも五穀の起源の神さまとして記されています。
以上のことから分かりますように、宇迦之御魂神は御自身が食物を司る神さまであるとともに、一族に流通や稲に関わる神を持つ、人間の生活にとって根源的な役割を司る神さまであられるわけです。
食物の神、農業の神として崇敬された宇迦之御魂神は、民間の工業や商業が盛んになりますと広大無辺な御神徳を慕われて、殖産興業の神としての信仰が広がっていきます。
近世になると農家ばかりでなく、商家、町家、大名にいたるまで稲荷大神への崇敬が広がり、ご分霊をいただいて屋敷神や家庭神、地域神としてお祀りする人々が増えていきました。



| ryuichi | 13:58 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下大町::三春城由来 |
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