2009-06-29 Mon
平沢元町 物外地蔵堂播揚物外紹播和尚は、江戸初期、三春城外の李田(すももだ)に生まれました。
三春福聚寺の悦峰西堂の弟子となり、宇都宮興禅寺、館林慧林寺、京都妙心寺等に参禅・住持して、宍戸藩主の秋田実季の招きに応じ宍戸高乾院に赴きました。
江戸幕府二代将軍秀忠の江戸城への招きや伊達政宗の瑞巌寺開山の誘いを固辞して参禅者に教えを説いたと伝えられています。
この「物外地蔵堂」は、その母が子供の出来ないのを憂い、平沢の地蔵堂に三年間願を掛けたお地蔵様を安置してあります。
また、雲水として行脚を続ける物外禅師も故郷三春を訪れた時には、この地蔵堂の脇に設けられた「保春庵」を庵居としていました。
後に、後光明天皇の聖聴に達し、「勅諡 播揚大教禅師」の諡(おくりな)されています。
こちらは、物外地蔵堂のすぐ近くにある、「おすわ様」とよばれる「諏訪神社」です。
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