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下野国小山庄「旧鷲城跡 鷲神社」(栃木県小山市)



下野国小山庄「旧鷲城跡 鷲神社」(栃木県小山市)

本丸跡には鷲神社があり、南北朝時代の城郭が残る貴重な史跡

鎌倉時代以来下野国の守護に任じられた小山氏は、中世を通じて下野国最大豪族でした。

鷲城は中久喜城・祇園城と並び小山氏の主要居城であるとともに、1380(康暦2)年から1383(永徳2)年の小山義政の乱において本城としての役割を果たしました。






「小山氏の乱 (おやましのらん)」( 小山義政の乱)とは、 室町時代 前期に下野守護であった小山義政が、鎌倉公方足利氏満に対して起こした反乱で約17年にわたって繰り広げられた結果小山氏の嫡流は滅亡します。

田村荘の庄司である「田村庄司家」の与力“御春輩”の活躍していた鎌倉時代末期。
田村庄司氏は南北朝時代には南朝方についていました。

その後、さらに奥州を関東の分国とした検断職を誇示する白河結城氏は、仙道田村荘進出を窺い、田村庄司氏の対立は続き、明応3年(1396年)には、「小山氏の乱」後田村庄司家に救援を頼む小山氏と連携した「田村庄司の乱」が発生します。






田村氏は、関東出陣の大将として小山氏はじめ新田義宗の子息新田相州、並に其の従弟刑部少輔らとともに室町悪府の出先機関である鎌倉(古川)を目指し白河へ出陣、時に鎌倉公方や関東管領に差配に不満を抱く旧南朝方の関東(上州や武州)の諸将も田村氏の下へ馳せ参じ一大勢力となり白河結城修理大夫率いると対峙します。




「田村庄司の乱」に対して、陸奥国の管轄権を室町幕府(室町殿)から移譲されたばかりの鎌倉公方にとっては奥州に力を示す好機であり、鎌倉公方足利氏満が十一か国の国主の兵を率いて出陣して白河結城氏の当主結城修理大夫満朝の舘に入ります。

鎌倉方の兵力のまえに、田村氏は形勢不利として、兵を納めそれぞれの領地へ帰還します。

鎌倉公方(かまくらくぼう)
室町殿・室町幕府には、坂東(関東)を統治するために置いた「鎌倉府」という出先機関があり、そこの主が鎌倉公方です。本来であれば室町幕府出先機関ですから、足利将軍の命に従うはずでしたが、鎌倉公方は設置直後から終始幕府に対して反抗的な態度を取り続けました。

関東管領(かんとうかんれい)
鎌倉公方に就任した足利基氏はこのときまだ10歳だったため、補佐するために置かれたのが「関東管領」です。
いわゆる執事として公方を助ける役職で、初期は高氏、畠山氏、斯波氏などが担当しましたが、次第に上杉氏が世襲して独占するようになります。






三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:12 | comments (x) | trackback (x) | 戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |