CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<  2026 - 05  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春物語34番 陽徳院「愛姫」誕生地の碑


 陽徳院愛姫は、永禄12年ころ(1569年)田村郡三春町に城を持つ戦国大名田村清顕の娘として生まれました。

そのころ田村氏は、蘆名(会津)・二階堂(須賀川)・石川(石川)・白川(白河)・岩城(平)など、周囲を敵に囲まれていました。

このような状況の中で、清顕は伊達氏と結ぶことによって家を守ろうと考え、娘愛姫を米沢城の伊達輝宗の嫡男政宗に嫁がせました。
伊達氏の力を得て、田村氏は領地を維持することができました。

一時、夫婦仲が悪くなったと伝えられている。しかし、その後、夫婦関係は修復に向かったと思われ、彼女が京の聚楽第の伊達屋敷に移ってから、文禄3年(1594年)には、後に松平忠輝室となる五郎八姫(イロハ姫)を出産。

それから、仙台藩二代藩主忠宗・宗綱・竹松丸と、政宗との間に4人の子をもうけた。

聚楽第の伊達屋敷に住むようになってからも、いわば女性外交官的役割で政宗に京の情勢を知らせ「天下はいまだ定まっておりませぬ。殿は天地の大義に従って去就をお決め下さりませ。私の身はお案じなさいますな。匕首を常に懐に持っております。誓って辱めは受けませぬ」という手紙を送り、よく政宗を内助の功でもって
支えていたと思われる。







三春田村氏は、豊臣秀吉によって改易になりましたが、愛姫のはたらきかけにより、孫にあたる宗良が田村氏を名乗り、岩沼三万石の大名に取り立てられました。後に、所替えにより一関三万石を領しました。

墓所は瑞巌寺に隣接する陽徳院。

導師の雲居禅師も、愛姫について「家庭をよく治め、慈愛深く聡明な奥方であられました」と、愛姫の人柄について語る言葉を残している。また、瑞巌寺の尼僧姿の愛姫像も美しく、「愛姫=めごい(愛くるしい)姫」の愛称どおりの女性だったようである。






| ryuichi | 04:18 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下大町::三春城由来 |
コメント

コメントする