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三春物語154番 安東氏「上国家」 湊家
「上国家」 安倍安東ノ秋田湊家墓所「安日山高乾院」

安東氏「上国家」 湊家
安東氏(あんどうし)は、日本の中世に本州日本海側最北端の陸奥国、津軽地方から出羽国秋田郡の一帯を支配した豪族でした。
津軽安藤氏ともに、本姓は安倍を名乗ります。
鎌倉期には御内人として「蝦夷沙汰代官職」となり、室町時代には「京都御扶持衆」に組み入れられたと推定され、後に戦国大名となった。

経緯の詳細は不明であるが、室町時代に入ると下国(しものくに)と上国(かみのくに)の二家に分かれ対立したと見られている。
上国家は出羽小鹿島や出羽湊(現秋田市)を領し、後に秋田郡を制して秋田城介を称した。
一方、津軽を領した下国家は15世紀半ば頃、東の八戸方面から勢力を伸ばしてきた南部氏に追われ、いったん蝦夷島に逃れたが、室町幕府の調停で復帰、後に再度蝦夷地に撤退、更に出羽に移り檜山(現能代市)を中心に出羽最北部西半から蝦夷地南部を領した。
下国家と上国家は、それぞれ陸奥国北辺と出羽国北辺で「蝦夷探題・管領」の役割を果たしていたとも考えられる。
この頃から「安藤」の表記を「安東」とする。
更に、室町幕府の奥羽大名施策において、両安東氏を「屋形号を称する家柄」として秩序立てていた。
近世以降は三春秋田氏を名乗り近世大名として存続し、明治維新後は子爵となります。

上国家の成立について、従来の説は鹿季が出羽湊に入ったとの系図記載記事を踏襲したものであったが、近年、南北朝時代成立の史料により男鹿半島の領主として確認される安藤孫五郎、安東太の両者や、「市川湊文書」に含まれている寺社修造棟札写に残る寂蔵、安倍忠季、安倍浄宗等が鹿季の南遷と伝えられている時代以前に遡れること、湊家以前の男鹿半島の領主を女川家と伝える伝承があること等から、湊家の成立と伝えられる以前に安東一族が秋田郡に土着していた可能性を指摘する見かたや、鎌倉末期に蝦夷大乱において惣領から退けられた季長を上国家の祖と見なす見方などが出されている。
また、鹿季を宗季の子とする系図を支持する見方もあります。
上国家は、一般的に湊家と称し、遅くとも天文年間には「京都扶持衆」となっていること、代々「左衛門佐」を名乗り本願寺や細川氏とも誼を通じるなど中央との交流があったこと等が史料から確認されている。

三春藩主菩提寺 高乾院にある秋田家墓所


荒木高保奉納の弁財天水鉢


| ryuichi | 08:59 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春藩主 安東秋田氏 |
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