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胆沢城跡で出土した硯に「宇曹」の文字を発見したことを岩手県奥州市埋蔵文化財調査センターが5日、発表

先の福島民報朝刊に、胆沢城跡で出土した硯に「宇曹」の文字を発見したことを岩手県奥州市埋蔵文化財調査センターが5日、発表したとの記事が掲載されていました。

奥州市の国史跡「胆沢(いさわ)城跡」で出土した硯(すずり)に、蝦夷(えみし)の有力豪族「宇漢米公(うかめのきみ)」を示す文字が墨書されていたことが判明したとの事でした。

胆沢城は、陸奥国胆沢郡にあった日本の古代城柵で、坂上田村麻呂が802年に築き、1083年の後三年の役の頃まで約150年にわたり鎮守府として機能した。

 この硯は1976年度の発掘調査で、正門にあたる外郭南門付近から見つかった「風字硯(ふうじけん)」(縦17・8センチ、横15・7センチ、高さ6センチ)。

出土当時は墨痕が薄く文字を認識できなかったが、その後の再調査で裏面と側面に「宇曹(うそう)」の文字が確認できたという。

当該の胆沢城を守っていた蝦夷の豪族「宇漢米公」は、田村麻呂の計略によって殺された阿弖流為(アテルイ)や母礼(モレ)の死後、蝦夷衆の中心となって奥州人を蝦夷、南蛮大和朝廷に対抗してきたが、後に朝廷側から長岡京(京都府長岡京市)に招かれ、朝廷側の接待を受けた記録が残っている。

他にも朝廷に従う一部の蝦夷がおり、朝廷の大軍勢を相手に果敢に戦った阿弖流為と母礼の亡き後の蝦夷の勢力は急激に衰え、対立してきた朝廷に近づこうとする豪族たちもあったと考えられます。

桓武天皇が即位されると大和朝廷は奥州平定を目指して蝦夷征討が本格化します。
紀古佐美(きのこさみ)を将軍として大軍が派遣されますが、地の利を生かした阿弖流為と母礼が率いた蝦夷衆の巧みな迎撃によりに惨敗します。

朝廷は再度蝦夷征伐の軍を編成し、蝦夷民と大和民両方の血を引く坂上田村麻呂を征夷大将軍副将軍に任じ奥州に攻め込み、何とか和睦します。
兵力が温存している蝦夷長として阿弖流為と母礼は、平安京へ訪問することになりますが、朝廷は彼らを処刑してしまいます。
もちろん坂上田村麻呂は阿弖流為と母礼の助命嘆願を行いますが、朝廷は二人の処刑を断行したのであった。

その最中に朝廷軍によって胆沢城が建設されるに至ります。

何の因果か三春町の歴史史上に於いて戦国時代の三春城主三春田村氏の祖を坂上田村麻呂、そして、江戸期の三春城主秋田氏の祖を阿弖流為(アテルイ)という歴史的な事実があります。

今を生きる三春町民にとってはその因果関係を含めて、何とも気になる記事となります。


| ryuichi | 03:52 | comments (x) | trackback (x) | 三春藩主 安東秋田氏 |