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「お陰参り」伊勢神宮初詣と秋田城介安倍實季入道墓参 令和5年正月






「お陰参り」伊勢神宮初詣と秋田城介安倍實季入道墓参 塵壺380号 令和5年2月発行


 今年、還暦を迎えるので“一生に一度は「御伊勢詣り」”と云われる伊勢の神宮へ妻を伴って初詣に行ってきました。


かつて、作家の司馬遼太郎氏が“伊勢参り”を「暑さも、蝉の声も、手を洗う五十鈴川に泳ぐ小魚も、そして飛ぶ鳥さえもご利益があるような心持にあり、本日この時に一緒に参拝されている参詣者の方々にもご縁を感じる」と称していたように、私も参詣の度にお伊勢さんの神威を感じます。





また、外宮・内宮両社に於いて御神楽御祈祷を受けますと、御祈祷の祝詞でお一人お一人の住所と名前が呼ばれます。

自分の番になり“福島県田村郡三春町新町~にて三春昭進堂を営む髙橋龍一”と呼ばれますと畏敬の念に駆られ“ありがたい、日本に生まれてよかった”と只々ありがたく、お陰様でと感謝の念が込み上げてまいりました。




神宮から車で10分、伊勢神宮神田近くの朝熊(あさま)という集落に三春初代藩主秋田河内守俊季公の実父である秋田城介・安東秋田實季公(あんどうあきたさねすえ)(通称下国
安東太郎)が幽閉された草庵跡と墓所があることをご存じでしたか?

禅寺「石城山永松寺」という古刹の宇内(境内)にある實季公の墓所は時が止まったかのようにひっそりと佇んでいます。






この安東秋田實季公は、かつては「日之本将軍」と称した安東水軍の統帥で、正室“円光院”の父は、室町幕府管領家の吉兆細川氏の当主昭元、そして、母は織田信長の妹“お犬の方(お市の方の妹)”です。

即ち豊臣秀吉正室“淀君(茶々)”や徳川二代将軍秀忠正室“崇源院(お江)”と従姉妹という関係になります。

三春秋田氏の先祖は、平安期の武将安倍貞任の家系とする安東氏で、平安の頃より出羽、東日流(津軽地方)を領有し、強大な戦力を持つ貿易水軍「安藤水軍」を率いて樺太や蝦夷(北海道)・朝鮮半島、そして中国は元より東南アジアやインド近郊まで海運貿易をしていた「蝦夷探題」を継承する海将の一族でした。





天正19年(1591)には、天下統一を果たした豊臣秀吉から「奥羽仕置」の際に、秋田郡5万2千石を安堵され、御蔵入地(秀吉の直轄領)2万6千石の支配も命じられますが前後し
て蝦夷地における勢力(蝦夷探題職・海外交易海運事業権等)が没収されます。


同年の「九戸政実の乱」の鎮圧や慶長20年(文禄元年)からの太閤朝鮮派兵、そして伏見城の築城などに従事、「関ヶ原合戦」では、徳川家康より「慶長出羽合戦」に於いて上杉、佐竹(西軍)に与したとの嫌疑をかけられ、佐竹義宣の秋田転封に伴って常陸国宍戸5万石への転封を命ぜられ常陸宍戸藩初代藩主となりますが水軍を取り上げられ「安東水軍」は終焉を迎えます。






後の大坂冬・夏の陣では、徳川勢力(東軍)として参戦していますが、戦後の恩賞や祖父伝来の土地である秋田への復帰や水軍を召し上げられたことなどへの不満が幾重にも募り、剛毅な戦国武将らしい気骨ある實季公らしく、それらの不満を徳川幕府二代将軍秀忠や三代家光にぶちまけて居たのでしょう、官位からの苗字「秋田」を名乗らず「安倍」や「安東」そして「生駒」を名乗ったりしています。

本来であれば宍戸藩安東秋田氏自体が改易なのでしょうが、生真面目な嫡男俊季公や家臣一同の幕閣への働き掛けもあり實季公の朝熊幽閉と相成ったと私は思っています。

幕府からの命で、宍戸藩主を俊季(後に三春へ転封)に譲渡され、自身は“領内に圧政を布いた”ということで寛永7年、わずかな近習を引き連れて伊勢の朝熊(あさま)へ蟄居を命じられます。朝熊には側室の片山氏とその娘である千世姫が同行しています。

千世姫は、實季公が齢50歳を過ぎた頃に出来た愛娘でしたが体が弱く、僅か11歳という若さで病没。そして、片山氏も、実季に先立つこと8年前にその生涯を閉じます。





實季公本人は、約30年永松寺草庵にて蟄居生活を送り当時としては長命の85歳で生涯を閉じ、愛娘と妻が眠る墓所に埋葬されています。その墓石には戒名「高乾院殿前侍従隆巌梁空大居士」そして、秋田城之介という官位銘と安倍實季入道の法名が刻まれています。


また、菩提寺である永松寺本堂の須弥壇には實季公のお位牌の納められた厨子、そして片山殿、娘のお千世方のお位牌が安置されています。

幽閉されたとはいえ朝熊での實季公は、歌道・文筆・茶道にも優れた教養人で「凍蚓(とういん)」“凍えるミミズ”という自嘲めいた雅号を号し優れた和歌や文筆を残しています。


]江戸期より明治初頭にかけて伊勢神宮参拝のお土産として名高い万能薬「秋田教方萬金丹」(現・萬金丹)は、實季公直伝によると伝えられています。


我が庵は 道みえぬまで 茂りぬる すすきの絲の 心ぼそしや」 凍蚓

尚、永松寺様(百合齊道住職伊勢市朝熊町1212)では、本堂の再建工事が令和5年2月26日より始まります。







蒼龍謹白 さすねけぇぞい三春!  拝



以下、三春秋田氏から永松院へ役領を寄進した際の受領書

右として

高乾院殿前拾遺空巖梁空大居士の墓所の掃除料) 謹んで永松庵の下に寄付し終えた。

そもそも、寛永年中秋田城介安倍実季が、常州(常陸) 宍戸から勢州(伊勢)に赴かれるときに、愚臣交野重兵衛常信、早川又兵衛氏職らが駕籠に付き従って、朝熊の郷に住んだ。

家務を統括し、侍として、しもべとして奉仕すること三十年たったことだが、ついに万治巳亥の年(万治二年/一六五九)に易簀(他界)となった。その後、奥州三春城主 (秋田) 安房守盛季がその功績に感じ、俸禄を賜り、子孫も連綿とつながり今も絶えていない。

しかし、実季の遺徳である愚子孫らは、雨にも風にも志は馳せるといえど、百里の外の海が阻むところ、山が阻むところにて、古い墓所の塵や芥を掃うことができず、徒に時が移ること数十年、今に至った。

宝永戊子の年(宝永五年/一七〇八)、五十回忌をここに迎え、孝心のある曾孫(秋田) 信濃守輝季が孝養として田地を永代茶ノ湯料としてなぞらえて寄進した。

【不俊(不肖の私)たちまたはその後付き従った者の僅かの畑地は永松庵の落芥を掃くに要するものである。】

宝永六年三月
(日向訳)

伊勢度会郡朝熊村

石城山永松庵

中巌座元


※ 渡邊日向 訳




| ryuichi | 03:36 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩主 安東秋田氏 |