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三春物語94番 画僧雪村周継 「説門弟資」


画僧 雪村周継
戦国期の乱世を生きながら独自の画風を築いた画家に「雪村周継禅師」がいます。
雪村は、周継という法名をもち雪村は雅号です。
他に、鶴船、如圭、倹約斎、中居翁などの雅号も称していました。
雪村は、晩年に三春在の李田村に隠棲し、天正十七年、八十余歳の天寿を全うしました。
雪村の画風は、禅をその精神的支柱とする静的素材を中心とした水墨画に、荒々しく動的素材を組み入れ、気迫と活力を導き出すことによって緊張感のある美を創造している。

晩年の代表作に「自画像」がありますが、この作品では雪村の画観や自然観、そして人生観がその小さな画面に集約され、遠くを見つめるその瞳には、自らが辿って来た足跡をじっと見つめているかのようです。
天文十一年、常州辺垂にあって門弟に伝授した「説門弟資」に、
「画は、仙術のようなものであるから龍が雲を起こし、虎が風を促すように自在に描くべきである。形を描く場合、濃墨七薄墨三と考え、自然の幽玄を見て描き、その省略の仕方は師に学ぶべきであるが、筆力は己のものでなければならない」としています。

三春李田では、隠棲とは言え数多くの作品を残していますが、三春にはほとんど残っていません。
稀少の三春で確認されている作品は、
三春福聚寺「達磨図」伝雪村筆
西田今泉家所蔵「菁図」(嘉永五年木村明細書上帳記載)
田村大元帥明王学頭善法院宝物「三十六歌仙絵」(明治十二年田村郡寺社明細書記載)
 の三点ですが、大元帥明王所蔵「三十六歌仙」は所在不明になっている。



李田雪村庵の堂守りを代々していた会田家には、次のような「申し継ぎ」が伝承されています。
「雪村が没したときは、正月の持ちつきが始められていたので手伝いを求めることができず、会田家のみで野辺送りを営んだ。遺骸に経幾巻かを添えて葬った。
雪村の墓は、庵の西側にある梅を回り、右斜めに登った墓地の中央で、庵の真後ろにある丸みを帯びた板碑型の花崗岩自然石がそれである。(墓石はいつのころからか倒れたままになっている)
会田家の当主は代々、この墓石の周りを踏んではいけないこと、雪村の供養を怠らないことを繰り返し聞かされていたという。(三春町史1参照)
また、会田家伝承には、庵には雪村桜と呼ばれる枝垂れ桜の古木がり、その傍らに泉水があり、その泉水で雪村自ら紙を漉いていたと伝えられている。
雪舟に私淑したといわれますが、「説門弟資」の中に
「余は、多年雪舟に学ぶと云へども、画風の懸隔せるを見よ、如何」と残し、画に対する雪村の凄まじいほどの気迫が感じられます。
尚、雪村の三春における門弟には、雪洞、祖宗、雪閑、等清らがいるとされています。



後、雪村庵に住した福聚寺第十七世 琢道祖球和尚大禅師により、田村三十三観音が規定されます。





| ryuichi | 10:51 | comments (0) | trackback (x) | 田村三十三観音 |
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