2009-07-20 Mon
小社 稲荷神社 御由緒調査書
祭神 蒼稲魂神
社掌 飛田昭辰調進 (筆者 現代文訳・修正加筆)
往古、鎮座の由緒不詳
中古、文歴元年(鎌倉時代1234年)鎌倉幕府将軍藤原頼経、執権北条泰時
三春城主 田村利顕の二男 田村刑部少輔則顕が富澤橋本舘に住居す。
右宅地内の氏神社なり。
その玄孫顕道の代に至り、国主北畠顕家公(南朝従二位権中納言兼陸奥大介鎮守府大将軍)に従って上洛、建武合戦に参戦しますが討ち死にし後倅顕盛の代に及んで字北の内二百六十二番地に遷坐す。
其の後天正十七年四月九日、伊達政宗と戦って橋本舘は落城してその子孫帰農となる。
然りと現子孫の○四戸存在して右社の祀りを不絶繁栄するなり。
明治三十五年十二月 社掌 飛田昭辰
富沢の稲荷様は、大変あらたかな稲荷様で、氏子の家に異変があると知らせてくれるといいます。
良いことがあると、オイナリさまは「コン」と鳴くが、悪いことがあると「ガイガイ」と鳴くという。
富沢の山中の文蔵という大工がいた。仕事にかけては真面目で上手な大工なのだが、どんなときも裾を端折ったことがない。
長裾のままいつも仕事をしているので、誰からも「すそなが文蔵とあだ名で呼ばれている。
すそなが文蔵が、イナリさまに御幣束を上げて「もし、イナリさまに御利益があるなら、俺の家さ来て鳴いて見せろ」と云って帰った。
家の門口を入ったところまで来ると、イナリさまの鳴き声がします。
そこで文蔵は、これは、これはイナリさまの御利益は本物だと、自分で立派な鳥居を造って奉納したという。」
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
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