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三春物語28番 「三春正道館」


三春正道館は、明治初期の福島地方における唯一の政治教育の学塾でした。
創立は明治一四年6月頃とされ、場所は旧藩校明徳堂の跡地を利用したものです。
これは近代的な政治教育を目的とする青年の教育機関で、その維持費は設立を含めすべて公費があてられていたことに大きな特色をもっています。
このことは当時の三春町が戸長松本茂をはじめ、議員・学務員・など町の指導者層が「自由民権派の人々によって占められていたという特別な事情を抜きには考えられません。
 これより先、三春では明治十一年1月、政治結社「三師社」が結成されています。
これは福島自由民権運動の先駆者河野広中らによって組織されたもので、三春戸長野口勝一ほか田母野秀顕・松本茂・佐久間捨蔵・安積儀平ら創立当時の社員は79名と記録されています。
三師社も各地の政治結社と連携をもち、河野は明治十三年4月の愛国社大会に参加します。
これが「国会期成同盟会」の捧呈委員に推され、全国的指導者としての立場を築いていきます。
 


正道館はこのような事情を背景に生まれたもので、先進地の土佐から講師を招いて青年の政治教育に力を注ぎ、政治・法律・経済・歴史のほか、討論・弁論術を教えています。
しかし、三島通庸の福島県令着任とともに、その自由党抑圧策により明治十五年7月頃には閉館を余儀なくされます。
しかし、ここで育った青年達は「田村ノ壮士」として各地で活躍しました。
また、同年12月に起こされた福島事件に連座して、最終的に東京の高等法院に送られた57名のうち、過半数の25名が田村郡人であり、田村ノ壮士の果たした役割がいかに大きかったかを物語っています。
さらに、明治十七年の加波山事件では、琴田岩松・山口守太郎・河野広躰・五十川元吉・天野一太郎ら三春の正道館の出身者が参加しています。 


落書きの残る正道館の雨戸


正道館跡に建つ河野広中の銅像と自由民権広場


政治結社「三師社」の置かれた龍穏院

磐州通り・自由の魁(加波山事件顕彰碑)


| ryuichi | 05:04 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下大町::三春城由来 |
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