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旧三春城址 秋田家祖先尊霊」石碑・慰霊碑 こぼれ話




旧三春城址 秋田家祖先尊霊石碑・慰霊碑 こぼれ話



この石碑について面白い話が伝わっています。

明治三十九年、三春町有志の人々が相計って「皇軍戦死之霊・日露戦従忠魂紀念碑」建立及び「三春藩主秋田公祖先ノ霊石碑」を旧城跡に祀るため、三春町の有志(六十歳)以上の年齢の者で構成された「尚輪会」という組織があり、その会員六十名余の発起により、石を水戸から輸入してこれを旧城山山頂に運ぼうとした。

しかし、城山の高さは数百メートルあり、城址とは言っても荒れ果てた山城の山頂に達する道路がほとんど有っても無いと同じように荒れて果てている。

ましてや、このような巨石を城山に運搬するのは、莫大な人夫が必要である。

ゆえに六十余名の発起者は大いに苦慮して一同に集まり、その方法・対策を話し合ったが、妙案は出なかった。

集まった人々が、考えあぐねあきらめかけていたその時に偶然にも川前紫渓の次男・川前英助が来訪し、今日の集まりは何事かと聞いた。

会員が、巨石を城山に運搬する良策が見つからない旨を話すと英助が大笑いをして云った。







「このくらいの小石余(私)が一日を費やすさず山上に輸送しよう」と。

会員もまた大笑いして云った。

「大昔、大力無双といわれた弁慶坊は一夜で三井寺の鐘を良いて比叡山に登ったと聞いた。しかし、弁慶が生き返ったとしてもその梵鐘より今回は重量である。この巨石と同じく考えることはできないだろう。」と。

これを聞くと英助は、かすかに笑い去って行った。


時をおかず、英助は、門弟三百名を招集し、巨石運搬の事を告げた。

すると門弟たちは快諾し、翌日紅白の旗をつくり盛えた。





英助は、筒袖短の軽装で、三百余名を二手に分けて、お互いに競争で上げることとし、直ちに巨石運搬に取り掛かった。

この時、三春小学校では、英助の行動を聞いて壮挙であると讃え、音楽隊をくり出して応援した。

引き上げる男たちの掛け声と音楽隊の演奏とが明和し、巨石はあたかも羽根が生えたように動いて行った。

果たして一日をかけずに「三春藩主秋田公祖先ノ霊」と刻まれた石碑運搬班は、無事この巨石は山上に上げられた。







もう一方の「皇軍戦死之霊・日露戦従忠魂紀念碑」運搬班は、田村大元神社からの城山山頂への搬送を試みたが、力及ばず断念し途中の同社境内が見下ろせる場所に設置されています。

時に元々が許して云ったことは「川前先生の力は弁慶に優った」であった。



これは、英助の持つ方がどのくらいのものであるかを想像するのに十分なでき事であった。



 三春最後のサムライ  川前英助  

明治維新後には、江戸榊原道場や千葉道場などで腕を磨いた剣客で、三春城下に道場を開いて広く門下を集めその指導にあたりました。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 03:44 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春藩始末記 秋田氏五万石雑記 |