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「春陽三春郷(旧三春藩領)の歴史あれこれ・塵壺より」   中田町郷土歴史研究会 講演会 



私は、還暦を迎えた今年度の集大成として、講師として4回講座で戦国時代の三春田村氏を中心とした歴史講座に望んでいます。

田村氏旧臣の多い郡山市中田地域の郷土史研究会の講座です。

このお話をいただいてから中田町地域の神社やお寺、そして、城跡を廻ったりと・・・これも先祖以来のご縁あるめぐり合わせかと・・・・

今回改めて戦国時代の田村の庄を中心とした、御春輩と称する平姓三春田村氏の旧臣衆と向き合っています。

「しっかり講話せよ!」と田村旧臣にお叱りをいただかないよう、あと3回の講座を自分なりに頑張る所存であります。

そして、もう少し戦国の世の田村庄を堪能したいと思います。

いざ出陣じゃ!




「春陽三春郷(旧三春藩領)の歴史あれこれ・塵壺より」1
  
      中田町郷土歴史研究会 歴史講座 於中田ふれあいセンター

   令和6年11月27日(水) 毎週水曜日 4回講座 午後1時30分~


三春昭進堂代表 髙橋龍一  塵壺発行責任者


講演項目

・三春田村氏と南方要害(中田町周辺)武士団      

・中世の田村庄と小野保周辺「奥州田村六十六郷・小野六郷」

・三春城主秋田氏

・幕末戊辰戦争と三春藩




参照資料

「田母神旧記」

「田村家臣録」

「田村系譜」

『中田町の文化財』 中田町郷土歴史研究会 1~4

『なかた町史』 中田町郷土歴史研究会 第1集

『仙道田村荘史』青山正 

『田村郡郷土史』田村郡教育會

『岩磐史料叢書、岩磐史料刊行會

『三春町史』 三春町

『船引町史』 船引町

『大越町史』 大越町

『滝根町史』 滝根町

『姓氏家系大辞典』 太田亮 姓氏家系大辞典刊行会

・三春町文化財保存活用地域計画 文化庁





御春輩 田村衆「田村四十八舘」現中田町地域周辺

室町幕府・足利政所の衰退からの戦国時代、織田信長による“いつでも”戦いをすることができる“銭で雇った兵”の創設を原資とする「農兵分離」政策によって軍事戦略が劇的に変革して、四季を通じて一年中戦が出来るようになります。

それまでの農民=武士(兵士)では、春秋の農繁期になると田植えや稲刈り等農作業で忙しく戦どころではありません。信長以前には戦国最強と云われた武田や上杉などの軍勢も既存の農民兵が主体なので、軍事行動は春と秋の農繁期を避けて行っていました。

地方の国人衆は、「兵農分離」そして太閤秀吉による「刀狩」等の政策を導入するという段になって、先祖伝来の所領(土地)がある「在家惣領家」は、その生活(収入)基盤である所領を手放してまで武士(兵士)として生きるという選択肢はあり得なかったと考えられます。


「上石過足舘」中山太郎右衛門尉

「牛縊舘(うしくびりたて)・城」
 牛縊壱岐五郎衛門 三百五十石 三春札場迄一里半
出舘として「白石館」、「八幡館」がありました。 天正日記16年 正宗拝謁

「古館(ふるだて)」中田町牛縊字袋内/館主不明。

「表館(おもてだて)」郡山市中田町駒坂 字表/館主不明。

「南館(みなみだて)」郡山市中田町駒板字南 館主不明。

「黒木舘」黒木信濃守 田村旗本近習 与力5騎・鉄砲5丁(田村家臣録)黒木大膳 

「海老根舘」三本木十郎右エ門

「赤沼舘」赤沼弾正 二百五十石 三春札場迄三里

「西平寺館(さいへいじたて)」郡山市中田町赤沼 字西平/赤沼弾正の居館跡。

「木目沢表舘(このめざわおもてたて)」木目沢式部内蔵之助 

田村家御一門中御家門方 木目沢善五郎顕継 田村宮内少輔顕頼月斎入道の七男

内蔵之助の一男 善次郎。孫大槻内蔵之助。 (田母神氏旧記)

出城として、「明神館(みょうじんたて)」木目沢善五郎顕継の居館

そして、「岩入館(いわいりたて)」下方主膳の居館などがありました。

 木目沢鎮守三渡神社では、木目沢三匹獅子舞が伝承。口伝によれば平安時代に坂上田村麻呂が蝦夷征討でこの地を訪れた際、凶作・疫病で民衆が疲弊している様子を見て、厄難退散祈願の為に村の子供達に獅子舞を教えたことが始まりであると言われています。


「向館(むかいだて)」郡山市中田町木目沢五斗蒔田  吉田和泉守の居館跡。

「下枝上舘(したえだかみたて)」旧御舘村下枝   

旧御舘村下枝には、後に云「田村四十八舘」の三春城主田村氏の一門、の居舘「下枝上舘」がありました。  

橋本刑部少輔顕徳の居城のもっと前、100年位前になる応永十一年(1413年)の日付記載のある「応永仙道国人一揆」小峰満政等二十人連署一揆状 には、下枝沙弥性善 (下枝沙弥性善)の名前が見えます。

田村庄司田村家一門とも考えられます。

後に、三春城主に平姓田村義顕公が築城して田村庄及び小野保を領地としています。

当時の田村氏は、相馬氏、岩城氏、佐竹氏、蘆名氏などの仙道進出を図る諸氏に囲まれて四面楚歌的な苦しい立場でした。

天文10年(1541年)に隆顕公が安積郡の伊東氏を攻めると、伊東氏を援けて伊達氏まで侵攻してきます

隆顕公は、伊達稙宗娘の御東殿(小辛相)を正室として迎えていたことから、同じ娘婿である相馬顕胤公が仲介に入る形で田村氏、伊達氏は和睦し、領地の一部を献上する代わりに伊達氏との同盟・従属下に入り、伊達氏もまた田村氏のために相互軍事協定をむすんで、軍事的支援を惜しまない誓紙を交わしています。

当時の下枝舘主下枝氏は、伊達氏に味方していましたが、田村家・伊達家の和睦により田村氏に降ったとされて田牟田亮から追放されています。


後々にも田村領城郭要害絵図には、下枝舘橋本刑部の名前が記載されています。

城郭も本丸となる郭の西手は切り立った断崖となっています。

東側は尾根が幾筋か伸びておりその上に郭の中心となる平場が段々に普請された丸を持つ大きな城になっています。

三春城主田村氏の御一門、田村四天王と呼ばれた重臣橋本刑部少輔顕徳(あきのり)(貞綱)の居舘。三春城下臥牛山(現紫雲寺山麓)に刑部舘跡あり終焉地(今泉系譜)

※田村盛顯(三春初代義顕の父)の孫の記載有。

田母神氏旧記には、橋本刑部は木村舘主(兼務、弟や子が城代)、田村家の執行大奉行に名前があり、出自も※田村月斎顕頼二男との記載が在り、弟太郎左衛門、聟(養子)孫左衛門(又七郎・二本松住)

三春城主・田村家三代清顕の死後、田村家中が相馬方(清顕夫人実家)と伊達方(伊達政宗夫人・愛姫嫁先)に二分する御家騒動の際には伊達方につき、家中を伊達方へ導きます。仙台藩片倉家文書の中には、田村宿老「橋本伊豫守」及び橋本又十郎の名がありますが刑部は別と考えられます。

天正17年には、清顕亡き後の田村家混乱に乗じた岩城城主岩城常隆勢が、田村家中の反伊達派の加勢を受けて田村領に侵入し伊達派の拠点となる鹿股舘、門澤館と次々に攻め落とし、次に伊達派の統帥橋本刑部が護る下枝舘に狙いを定め攻撃を仕掛けますが、逆に迎撃した田村勢によって撃退され大敗を喫しています。

その際、田村を離反し岩城勢に組した元船引城主田村清康、飯豊舘主郡司某(敏良?)など多数の田村家旧臣が討ち取られています。


「下枝脇舘」旧御舘村下枝 三春田村氏没落後に廃城。

三春城主田村氏の重臣、横田盛尊・平内左衛門の居舘

横田盛尊は、会津城主芦名盛實の二男綱實で、安積郡横田城に在って横田氏を名乗ります。

その五世の孫にあたる盛兼の代に、須賀川城主二階堂遠江守に攻められ横田城は陥落、平姓田村満顕に属します。

以来、代々田村氏に仕え金屋平舘に居住します。

盛兼の孫、盛尊になって下枝脇舘に移居し、後の綱晴の代、天正十八年に三春田村氏の没落により帰農し、柳橋村字篠坂(現中田町柳橋字篠坂)居住します。

以来、その子孫が継承して十四代(明治期)当代の朝右衛門まで横田氏伝来の寶を伝承していると伝わっています。



御館(みたて)/郡山市中田町下枝字館  橋本刑部少輔顕徳(貞綱)

久保館(くぼたて)/郡山市中田町下枝字久保/館主不明。

町裏館(まちうらたて)/郡山市中田町柳橋 字町裏/館主不明。

太古山館(たいこやまたて)/郡山市中田町柳橋 字太古山/館主不明。

間所内館(まどころうちたて)/郡山市蒲倉 字宮ノ前/館主不明。

中館(なかだて)/郡山市中田町高倉字中館/館主不明。

「高倉舘」高倉近江守鎖定 (高倉遠江守顕貞) 田村氏 中田町高倉 

   今泉山城守(橋本氏) 高倉城主 与力五十騎 田村譜代家士

[中津川館(なかつがわたて)] 中津川 

天正年間(1573~92)、中津川次郎右衛門 太夫中津川兵部が居住。

※三春田村氏一門より100年位前。

応永十一年(1413年)の日付記載の「応永仙道国人一揆」小峰満政等二十人連署一揆状 には、中津川三河守秀清(中津河参河守秀清)の名前も見えます。

田村庄司田村氏のころです。

後に、三春城主に平姓田村義顕公が築城して田村庄及び小野保を領地としています。

その頃の中津川城主に中津川千々代丸という名前が見えます。

当時の田村氏は、相馬氏、岩城氏、佐竹氏、蘆名氏などの仙道進出を図る諸氏に囲まれて四面楚歌的な苦しい立場でしたが、天文10年(1541年)に隆顕公が安積郡の伊東氏を攻めると、伊東氏を援けて伊達氏まで侵攻してきます。

隆顕公は、伊達稙宗娘の御東殿(小辛相)を正室として迎えていたことから、同じ娘婿である相馬顕胤公が仲介に入る形で田村氏、伊達氏は和睦し、領地の一部を献上する代わりに伊達氏との同盟・従属下に入り、伊達氏もまた田村氏のために相互軍事協定をむすんで、軍事的支援を惜しまない誓紙を交わしています。

中津川千々代丸は、伊達氏に味方していましたが、田村伊達家の和睦により田村氏に降ったとされていますが、中津川氏が千々代丸という名称で記載されていますが、当主が元服前なのか個人ではなく集団なのか・・・いずれにしてもその後の行方が分かりません。

後々にも田村領城郭要害絵図に中津川城は記載されています。

城郭も三つの郭を持つ大きな城になっています。

中津川氏退去の後の中津川舘には、戦国大名三春城主田村氏の一門衆中津川兵部が居城しています。


田村四十八舘の南の要害としていました。

田村三代清顕亡き後の岩城氏による田村庄進攻に際して岩城氏が拠点としています。

義顕公の正妻は岩城の娘です。


茶黄田館(さきだたて?) 中田町中津川町/館主不明。

館(たて)中田町上石字館 館主不明。

上石館(あげいしたて) 中田町上石/館主不明。

牛骨館(うしほねたて) 田村町栃山神字川曲 遠藤貞衛の居館跡。

朝日館(あさひたて) 田村町栃山神字川曲 青木平左衛門の居館跡。
  


「古内舘」

戦国期、三春城主田村氏の時代に宮城村大字海老根(現、郡山市中田町海老根)にあった古内館は、古内肥前守が舘主として居ました。

古内氏は、須賀川城主二階堂氏に組していましたが、天正年間の伊達・田村勢による二階堂氏討滅の時に伊達氏の重臣片倉氏に下り、以後片倉氏に仕え片倉氏の所領である白石に居を構えます。

現・仙台市太白区向山に鎮座する竹駒神社は、この古内氏が、屋敷がある海老根の古内にあった稲荷神社を移したと白石にある古内氏墓所の石碑には記されています。

また、岩沼の竹駒神社にも、三春田村氏や古内氏との関わりを示すものが残っており、伊達政宗夫人陽徳院(愛姫)の孫にあたる岩沼藩初代藩主田村宗良公の墓石を削って作られたものと言われる忠魂碑や古内重興が寄進した石燈籠があります。

 





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