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塵壺402号 「拝啓、御春輩(みはるのともがら)殿!」 令和7年1月吉日




塵壺402号 「拝啓、御春輩(みはるのともがら)殿!」 令和7年1月吉日


 ご縁があり、中田町郷土史研究会様の歴史講座で話をする機会の恵まれました。

御春輩とは、室町時代、南北朝時代の戦国乱世の混乱期に於いて独立自尊を貫いた田村地方の国人武士団の総称です。

今回は、その末裔の方々の前での講座ですので、何か忘れては大変だと、今まで発行した塵壺から関連している項目を洗い出し、新たに調べ上げた部分を加筆等して再構成して歴史講座に臨みました。

「照顧却下」という禅の教えがありますが、還暦を迎えた今年に先祖伝来の御春輩中田の郷を調べることは“自分自身を顧みる”ということになるんだろうと思います。

私の祖母が柳橋出身ということもあり、三春城下新町からは、根本を抜けて牛縊本郷、黒木、駒板、中津川、そして柳橋へと、子供のころより通いなれた場所です。

 今回、改めて中世田村の武士集団「御春輩」や「田村庄司田村氏」、そして「平姓三春田村氏」に向き合うべく、中田各地にある寺社仏閣や名所旧跡などをせっせと巡り、参詣に際し、ご挨拶とご縁の感謝を申し上げて講座開催の報告と完遂を祈念してきました。








 各々の郷を代表するような立派な社殿は、よく清掃整備されており、その維持運営管理に奉仕されている方々の郷土愛ともいうべき使命感と団結力に敬意を表して参りました。
すると一気に時代が戦国時代に遡り、戦国武者のご先祖様から「手を抜いたら承知せぬぞ、陣触れじゃ、いざ出陣!」と下知(げち)を受けている様で、気を引き締めて取り組む覚悟が出来ました。

 三春田村氏の資料は「片倉家文書」「田母神氏旧記」や「伊達天正日記」など仙台藩の文書や一関田村家関連の文書がありますが、三春城下には田村氏の改易や菩提寺などの火災等で紛失し資料が少ないという実情がありました。

 そこで、今回の歴史講座の中で、田村旧臣の末裔となる会員の方々に歴史的な文献や口伝が少しでも残っていれば拝聴したいと考えていましたが、やはり郷土に残る様々な話を伺うことが出来ました。






 牛縊本郷には、田村清顕の後を継いだ田村宗顕(清顕の弟氏顕の子)が田村氏改易後に伊達氏仕置きを不服として名前を牛縊定廣(うしくびりさだひろ)に改名したという由来の館主牛縊壱岐五郎衛門の牛縊舘。





黒木鎮守 菅布禰神社 


 黒木郷には、南朝の将軍北畠顕家の家臣伝説の残る三春田村氏旗本近習衆黒木舘主黒木信濃守(与力五騎・鉄砲五丁)黒木舘跡。






 中津川郷には、今から600年位前の応永十一年(1413年)の「応永仙道国人一揆」に記載のある中津川三河守秀清の末裔、中津川城主千々代丸の中津川衆など中世の田村家に重要な役割を果たした武将もいました。






郷社下枝鎮守 菅布祢神社 





 下枝郷の旧郷社菅布禰神社は、延暦年間に伊勢鈴鹿に鎮座する「椿大神社」の御分霊を祀った由緒ある社で、正保年間に三春藩秋田氏初代藩主秋田俊季公が龍神鎮撫のために奉納した「双龍之旗」二簱、安永二年、藩公秋田千季(倩季)の奉納懸額、また東方御舘山城主橋本刑部少輔(南朝の忠臣橋本正茂が後裔)の武具が残ると伝わっています。

 上石郷には「上石の不動桜」がありますが、このお不動様のお堂は、幕末のころに上石に移り住んだ三春藩士が寺子屋として使用し、子弟の教育をしたと伝えられています。

赤沼郷には「鴛鴦」の伝説と、城下新町の州傳寺御本尊「阿弥陀如来坐像」丈六佛の由来が伝わっています。

 高倉郷には、田村麻呂由来の大元神社、高倉城主今泉山城守(橋本氏)与力五十騎舘跡が残り、





海老根鎮守 菅布祢神社 (旧菅布祢大明神)


海老根和紙「秋蛍」で有名な海老根郷には伊達藩家老となった古内氏と仙台竹駒神社由来。





 駒板郷には、観音山常林寺山内にある水月観音堂の木造観音菩薩半跏像(水月観音)があります。





 木目沢郷には、「月一統」の主力である木目沢舘主の木目沢善五郎顕継がいました。尚、木目沢氏末裔となる木目沢の木目沢家に残る古絵図や古文書、そして故木目沢傳十郎氏の口伝は、田村地方に現存する田村氏関連の資料として大変貴重なものです。

 そして、柳橋はなんといっても「柳橋歌舞伎」。

江戸時代は幕府直轄の天領で隣接の守山藩同様、代官差配の為に、音曲の規制が穏やかで、芸能が盛んに行われたと伝わっています。

 この中田町をはじめ旧三春藩領には、それぞれの地域ごとの歴史や特色のある寺社仏閣などがあります。郷土の自然や歴史、伝統文化、先人の業績などに対する理解を深めて子孫に伝えていくことで、“郷土の誇り”と“心のよりどころ”になっているのだと思います。


    蒼龍謹白 拝 さすけねぇぞい、田村庄!「えい、えい、おう!


| ryuichi | 03:44 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |