2025-03-09 Sun
宇津峰(うつみね)城
旧仙道の中心、郡山市と須賀川市の境にある山城です。
大岩を祀った星神社があり、宇津峰城の別称が「星ヶ城」とされています。。
宇津峰は、古くは埋峰、雲水峰とも記されました。
宇津峰カントリークラブのクラブハウスがあり、その1番ホール付近の本丸跡の山頂に雲水峰(うづみね)神社が鎮座し、守永王(宇津峰宮)、後村上院、後亀山院の3人を祀っている祠があります。
宇津峰山の山開きは毎年4/29で、雲水峰神社の例大祭と併せて開催される。
南北朝時代、ここに東北地方における南朝方の拠点が築かれました。陸奥南部においては田村氏や伊達氏が南朝方に与しています。
暦応三年(1340) 田村宗季が、宇津峰城に鎮守府将軍・北畠顕信を迎え入れました。
しかし、北朝方が優勢になると宇津峰城も攻撃を受け、貞和三年(1347)に落城しました。
その後、幕府内で足利尊氏と直義の兄弟が対立すると、争いは東北地方にも及びました。
観応二年(1351) 伊達宗遠・田村荘司は、守永親王を奉じて再び宇津峰城に籠りました。
そして南朝方は勢力を取り戻し、一旦は多賀城を占領しました。
しかし、尊氏方が直義方に勝利すると、東北地方においても北朝方が攻勢をかけ、文和二年(1353) 宇津峰城は再度落城しました。
土塁に「東北勤王忠烈之址」の石柱が建立されています。
宇津峰城が奥州における南北朝騒乱の史跡であることは、明治末期までよく知られていなかったようですが、戦前の日本国帝国史観が充実する1915年、国語学者・大槻文彦によって紹介され、指
定史跡の機運が高まったとされています。
「南朝忠臣之遺跡」や「東北勤王忠烈之址」の石碑は大正から昭和初期に建てられたもので、軍国国家主義の影響が垣間見えます。
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