2025-04-12 Sat
根木屋 村社日枝神社
伊藤将監の居館とも伝わる「将監舘」とよばれる城館跡と伝わっています。
戦国時代の田村氏統治のころは、田村家重臣 橋本刑部が城主の木村舘の支城的役割だったのかもしれません。
案内板には、
平安時代の承暦4年(1080)、木村・根木屋・芹沢・山田4ケ村の総産土神として創建された神社。
ご祭神は 大山咋命 大己貴命
当時の社名は山王大権現であったが、明治2年の正月に山王大権現を改めて日枝神社と称すようになった。
と記されています。
20年程前より春祭りで氏子の皆様に配布する御供物のご用命をいただいています。
また、氏子さんから聞きましたが、毎年秋まつりの宵宮である11月2日の夜、絵灯篭祭りが行われ、現在は西田学園に統合されましたが、元の根木屋小学校の児童一人一人が描いた色とり
どりの絵灯篭に灯がともされた参道は、懐かしい故郷の風景として地元の人に愛されていました。
さらに、同小学校の閉校後も、地域の協力により、絵灯篭は祭礼の前夜を華やかに照らしているそうです。
昭和27年11月 拝殿改築竣工記念の扁額があります。
大工棟梁には、三春町渡邊傳のお名前が見えます。
新町の渡傳組の先々代でしょう。
いい仕事をしています。
旧村社 日枝神社 以下は、明治期~大正期発行の當社由緒より引用
干時承暦4庚申歳なり。
再後4月16、中の申の日を以て祭日と為し、木村・根木屋・芹沢・山田4ケ村の総産土神として崇敬无厚し。
万治元戊戌年に至り 左兵衛介顕房28世の孫、増子五郎左衛門當村の里正として社殿を改造し、三城目村祠官 増子出羽守を斎主となし、欣仰愈厚し。
延宝6戊午年、木村親郷より分離し一村立となりし時當字のみの鎮守と為る
祭主は遠藤奥守注連下吉田伊勢守なり
伊勢守廃官の時、北小泉村 伊賀正跡兼帯 安積郡福原村祠官 渡辺縫殿亮、祭主となる
明治2己巳年正月 山王大権現を改めて日枝神社と称す
明治13辰年阿久津 村上彦士 祠官となる
大正8年4月15日 前社掌 村上司書 職を辞し 増子五三郎社掌と為り名を邦臣と改む
昭和6辛未年 本殿を改築し神威を報賽と再伝
廃仏毀釈の名残も見えます
尚、根木屋(ねぎや)という地名の意由来は、木村、そして舞木(もうぎ)と共通する部分があります。
舞木(もうぎ)の由来
昔、上舞木にある権現さまと呼ばれる二社大明神(現直毘神社)の境内に大きな木があった。
夕方になると、この木の影が十町も延びた。
木の影が届いたところは、「日影」と名付けられた。
また、三春茶屋のちょっと三春よりにある橋、これを 日影橋という。
ある時、もの凄い風が吹いてこの大木が根こそぎ空に舞い上がった。
それからこの地を舞木と呼ぶようになったといわれています。
また、根が落ちたところを根木屋と名付けられ、幹が落ちたところを木村と名付けられたといいます。
根木屋は 根際、ねきわ、ねぎや と転じた。
木村は、 きうら、木末(きうら)、きむら へ転じたと云われています。
三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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