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日露戦争日本海軍連合艦隊解散の辞
日露戦争日本海軍連合艦隊解散の辞
稀代の名文章家と言われた帝国海軍名参謀・秋山真之の草稿とされる有名な「連合艦隊解散の辞」全文を披瀝したい。
 この文章は後に、ポーツマス講和条約で「仲介」の労をしてくれた時の米国大統領「セオドア・ルーズベルト」がこれを読んで英語に翻訳して、全米の海軍軍人に配布したと言われるほどの名文である。「全文」を知っている人は現在では非常に少ないと思われる。
故・司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」の最後にも掲載されているが全文は掲載されていない。
 東郷大将は連合艦隊の解散に際し、その司令官として明治38年12月21日左の訓示を麾下海軍将兵に致せり。
    「東郷大将連合艦隊解散の訓示」
 訓示

「二十閲月(えつげつ)の征戦已(すで)に往時と過ぎ、連合艦隊は今や其の隊務を結了(けつりょう)して茲(ここ)に解散する事となれり。然れども我等海軍軍人に責務は決して之が為に軽減せるものにあらず、此戦役の収果を永遠に全くし、尚ほ益々国運の隆昌(りゅうしょう)を扶持(ふうじ)せんには時の平戦を問はず、先づ外衝(がいしょう)に立つべき海軍が常に其武力を海洋に保全し、一朝緩急に応ずるの覚悟あるを要す。而(しこう)して、武力なるものは艦船兵器のみにあらずして、之を活用する無形の実力にあり。百発百中の一砲能(よ)く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚(さと)らば我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず。近く我海軍の勝利を得たる所以(ゆえん)も至尊霊徳に由る処多しと雖(いえど)も抑(そもそも)亦(また)平素の練磨其因を成し、果を戦役に結びたるものして若し既往を以って将来を推すときは征戦息(や)むと雖(いえど)も安んじて休憩す可らざきものあるを覚ゆ。惟(おも)ふに武人の一生は連綿不断の戦争にして時の平戦に依り其責務に軽重あるの理(ことわり)無し。事有らば武力を発揮し、事無かれば之を修養し、終始一貫其本分を尽さんのみ。過去一年有余半彼(か)の波濤(はとう)と戦い、寒暑に抗し、屡(しばしば)頑敵(がんてき)と対して生死の間に出入(しゅつにゅう)せし事、固(もと)より容易の業(わざ)ならざりし、観ずれば是亦(これまた)長期の一大演習にして之に参加し幾多啓発するを得たる武人の幸福比するに物無く豈(あに)之を征戦の労苦とするに足らんや。
 苟(いや)しくも武人にして治平に偸安(ゆうあん)せんか兵備の外観巍然(ぎぜん)たるも宛も沙上(さじょう)の楼閣の如く暴風一過忽ち崩倒するに至らん。洵(まこと)に戒むべきなり。
 昔者(むかし)神功皇后三韓を征服し給ひし以来、韓国は四百余年間我統理の下にありしも一度(ひとたび)海軍の廃頽(はいたい)するや忽ち之を失ひ又近世に入り徳川幕府治平に狃(な)れて兵備を懈(おこた)れば挙国米船数隻の応対に苦しみ露艦亦(また)千島樺太を覬*(不明)するも之に抗争する能(あた)はざるに至れり。翻って之を西史に見るに十九世紀の初めに当たり、ナイル及びトラファルガー等に勝ちたる英国海軍は祖国を泰山の安きに置きたるのみならず爾来後進相襲(あいつい)で能(よ)く其武力を保有し世運の進歩に後れざりしかば今に至る迄永く其(その)国利(こくり)を擁護し、国権を伸張するを得たり。蓋(けだ)し此の如き古今東西の殷鑑(いんかん)は為政の然らしむるものありしと雖も主として武人が治に居いて乱を忘れざると否とに基づける自然の結果たらざるは無し。我等戦後の軍人は深く此等(これら)の事例に鑑(かんが)み既有の練磨に加ふるに戦役の実験を以ってし、更に将来の進歩を図りて時勢の発展に遅れざるを期せざるべからず。若し夫(そ)れ常に聖諭(せいゆ)を奉戴(ほうたい)して孜孜奮励し、実力の満を持して放つべき時節を待たば庶幾(こいねがわ)くは以って永遠に護国の大任を全うする事を得ん。神明は唯(ただ)平素の鍛練に力(つと)め、戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に一勝に満足して治平に安(やすん)ずる者より直(ただち)に之を奪ふ。
 古人曰く勝て兜の緒を締めよ・・・と

 明治三十八年十二月二十一日 連合艦隊司令長官 東郷 平八郎


| ryuichi | 07:26 | comments (0) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
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