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「春から春まで -維新戦争と断金隊の記録- 」 山田六郎、非売品 昭和57




「春から春まで -維新戦争と断金隊の記録- 」 山田六郎、非売品 自費出版、昭和57



三春城下の老舗の豆腐・油揚げ 大畑屋食品の増子社長よりいただきました。


戦国の武田家旧臣を自任する、著者の祖父が断金隊に加盟していたということで貴重な一冊です。






「岩窪の会盟」に始まり、戊辰の日光方会津城下の戦いをへて、甲府へ「帰郷」に終る「断金隊」の人々の行動を経としています。

幕末、戊辰の三春城下の救済者として、三春との縁の深い、土佐断金隊隊長 美正貫一郎(みしょう かんいちろう)は、天保15年(1844)に土佐藩医師・下村惇斎の二男とし高知城下南奉公人町(現・高知市上町)に生まれ、慶応2年(1866)同町の土佐藩士徒士格・美正家の養子となります。

慶応4年(1868)1月、戊辰の役には土佐藩迅衝隊として伏見の合戦に参戦します。

甲州にて、土佐藩より「浪士掛探索役」を命じられ、旧武田家臣の子孫らを中心に、遊撃隊を組織します。

後に、江戸に転じると、部隊(総勢約150人)名を断金隊と名付けて、その隊長に任ぜらます。

戊辰の役では、奥羽列藩同盟の三春藩を無血開城を成す。

当時、三春藩は藩論を二分していましたが、三春藩の執行方の意をくんだ河野卯右衛門や河野広中らが密かに使者を仕立て、美正の計らいにより官軍総督・板垣退助らと会い、三春藩の帰順を申し出ております。

美正貫一郎は三春藩への攻撃を阻止するように尽力した事で、三春城の無血開城を成し、三春は戦火からも避けられて多くの人命と財産が救われます。

さらに、断金隊率いる美正貫一郎は、二本松城攻略のため本宮へ進軍します。

しかし、慶応4年(1868)7月27日、途中の阿武隈川途川の際に、敵に狙撃され馬から水中に落ち戦死してしまいます。、

後に、河野広中を中心に、旧三春藩では、城下に「美正明神」と言う祠を建てて祀りました。








勉強になります。




三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:52 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春藩始末記 秋田氏五万石雑記 |