2025-07-11 Fri
塵壺408号 「商人の師匠」 御菓子司「さかうち」 坂内和知社長 令和7年7月吉日発行
布袋寅泰「GUITARHYTHM VIII TOUR」 inけんしん郡山文化センター(郡山市民文化センター)に行ってきました。生の布袋サウンドを体感するのは東京ドームのBOØWY解散”LAST GIGS”以来です。
いざ、参戦!ステージに立つ布袋兄さんは、田村大元神社の仁王様かと見間違いするような2m近い大男で、何本持ってきたの?というくらい曲ごとにギターを代えて、踊りながら、相変わらずのカッティングリフが冴え渡るギターサウンドをロックンロールに乗せて聞かせてくれています。
お陰様で、白黒幾何学模様の「HOTEIモデル」に憧れた“ギター小僧(還暦過ぎですが)”に戻って“宇宙一のカッコイイRock 'n' Roll Show”で、布袋と同じ空間で、最初から最後までスタンディングのdancing! これは、感動以外何物でもありません。心ゆくまで楽しめたカッコいいライブで、本当に行ってよかった。
郡山文化センターのある堂前町は、自分の青春時代を過ごした思い出の場所です。郡山経済界の今につながる夢である「郡山に東北のハリウッドを造るんだ!」という“郡山広域圏テクノポリス構想”の先駆けとなったのがこの郡山文化センターだと記憶しています。
また、同センターのある堂前は、私の商人の師匠が営む御菓子司「さかうち」があり、ちょうど文化センター建設と同時期に菓子屋として修業をすべく、その門を叩いてから約5年間、商人として修業に明け暮れた場所でした。
師匠である「さかうち」の坂内和知(かずとも)社長から「職人になるな!商人になれ!」、さらに「お菓子造りはいつでも見て覚えられる。商売を覚えろ!そして、商品を売る前に自分を売れ!」と商人の“いろは”を叩きこまれました。
さかうちの入社当時は、母を亡くして間もないころで、洋菓子の修行先である茅ケ崎での修行を断念し、これから三春の店を継ぐために早く一人前の菓子屋にならなければという焦りもあった頃です。

入社初日に社長から「母ちゃんを亡くしたのは気の毒だった。しかし早くに母親が亡くなったということで、誰もが経験できないようなことを経験出来たということだ、そんな母ちゃんを忘れるな!」と訓示されたことで、何か眼の前に漂っていた淀んだ霧が一気に晴れたような気がしたことを、今でも覚えています。
日頃より「商人は商売と同じくらい金融にも精通しなくてはダメだ」と言われており、社長の計らいで各方面にお引き立てを受けました。
菓子屋修行と並行して当時全盛だった結婚式場へ出向して婚礼や各種イベントの引き物の営業活動、そして、企画や演出、余興芸能人の手配など演出全般から司会まで熟していました。
さらには、金融関連取引に関わる法律にも詳しくなければということで、手形や保険、株取引、相続など商売に関わる全ての事柄を実地で勉強させていただきました。
ちょうどバブルの頃です。駅前に事務所を借りて寝泊りをしながら、早く一人前の商人になるべく文字通り寝る間も惜しんで仕事もしました。
さらに「遊びもできないようでは仕事もできない!」という師匠の教えもあり、一人前になるための社会勉強の一環として、遊びも仕事と同じくらい励んでいました。
この頃は世の中もわからないながら、「苦労しなければ自分の夢は掴めない、その苦労を乗り越えなければ夢は叶わないんだよ」と言われている気がしていました。
年季を終えて三春に帰る際の壮行会の中では「あの織田信長が何で天下を取れたか勉強しなさい、情報の重要性と周りに流されない力強さが判るはずだ!」と激励の訓示をもらいました。
今の自分の基礎を全て社長の下で学ばせてもらえたことは、幸せ以外の何物でもなく、私にとってかけがえにない時間でした。その後も社長とは時折、大商いをさせていただきました。
商人の道を走り続けた社長は天寿を全うされ「さかうち」は閉店しましたが、自宅仏壇に今回出版した「塵壺」をお供えして手を合わせてきました。
「変えなければならないものを変えるのは勇気。変えられないものを受け入れるのは冷静さ。そして変えるべきものと変えざるものを見極めるのは知恵」
「商人の分別」坂内社長の教示より
蒼龍謹白 拝 さすけねぇぞい三春!
書は、個展を開くぐらいの達筆で、社長の性格に似ているといわれる私へ、叱咤激励の意味を込めて様々な書をいただきました。
| ryuichi | 03:03 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |
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