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阿弥陀院尊陽寺 七草木阿弥陀院造営記
阿弥陀院尊陽寺 


中世のいつのころか、「越中守」と呼ばれる領主がおり、阿弥陀院尊陽寺は、その人物の菩提寺で安達郡松沢村との境にあったと伝わります。

その後、二度の火災・天災で現在地に移りました。

江戸時代中頃、七草木村の庄屋を務めた武像家に、平沢村の平沢家庄屋の家から娘婿に入った半次右衛門は、子どもの頃から平沢村の満願虚空蔵を尊崇するとても信仰の厚い人物でした。

半次右衛門は養子先の七草木村の人々の心の平安を強く願いましたので、損傷の激しい阿弥院尊陽寺の再建を果たし、21才という若さで亡くなった愛妻を偲び、戒名「紅顔玉照大姉」を住職の実範和尚からいただくと、その供養のために阿弥陀院に不動明王像と脇侍を寄進しました。

その後、阿弥陀来迎図などを次々に寄進して、半次右衛門の厚い仰に支えられた尊陽寺には、様々な仏画が整えられ、盂蘭盆、彼岸、涅槃会や念仏請などの時に、「絵解き」が催され、近郷近在の人々が集い仏の教えを聞いたそうです。

尊陽寺は、中世から近世まで、年中行事や教育、医療、福祉など地域の人々の心身の生活に大きな影響を与え続けた寺院でした。

「七草木阿弥陀院造営記」 七草木 橋本吉雄氏談

| ryuichi | 03:03 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧御木澤村::七草木 |