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内桜田門   別称「桔梗門(ききょうもん)」




内桜田門   別称「桔梗門(ききょうもん)」


幕末の井伊大老が水戸浪士の襲撃された桜田門外の変

時、三春藩は江戸詰御用人小野寺舎人を番頭として「内桜田門御番所御当番」の役職にあり、桜田門の警備を任されていました。


秋田家文書には「桜田門勤務心得」や「桜田御番所御当番火事行列帳」(元文四年未六月)「外桜田御門番所御出馬行列帳」(寛保元年酉四月)の文書などから、三春藩江戸定府の公役には桜田門の警備が入っていることが読みとれます。


江戸城本丸南口の通用門で、本丸へ向かう際には、大手門と並ぶ登下城の門でした。

そのため、門の警護は譜代でも6~7万石の大名があたっていました。



内桜田門とは、外桜田門(現在の桜田門)に対しての呼称ですが、江戸時代から桔梗門(ききょうもん)という別称が用いられていました。

別称の由来は定かではありませんが、寛永の頃、上洛する際に御帰京の祝儀を表したから、あるいは、徳川家康入府の際、太田道灌時代の名残を残す桔梗紋の瓦が残っていたからといわれています。

門の鬼瓦には、現在でも桔梗紋が施されています。


この門は1614年(慶長19年)に造られたもので、桔梗濠沿いの石垣も1620年(元和6年)に造築されています。


現在も手前の高麗門(こうらいもん)と右手の渡(わたり)櫓門(やぐらもん)からなる枡形門(ますがたもん)が残っています。






1932年、には「昭和桜田門事件」が発生しています。

昭和7年1月8日、午前11時44分頃、皇居・桜田門の外で、還幸の列の馬車に対して、手榴弾が投げつけられたという事件です。

爆発は威力が小さく、昭和天皇は無事でした。襲撃者は一名で、朝鮮生まれの李奉昌という抗日武装組織から派遣された刺客であり、即座に警官らに取り抑えられました。


| ryuichi | 03:18 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |