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 「御春輩(みはるのともがら)と三春城主」   船引町史談会歴史講話   三春昭進堂 髙橋龍一    於 船引公民館 R7.12.20  



 船引町史談会 「御春輩と三春城主」

三春昭進堂 髙橋龍一    於 田村市中央公民館 R7.12.20  

急遽、話の内容を変更してお話しさせていただきました。

三春城下の老舗商人の起こり
伊勢朝熊 永松寺と安東實季
坂上田村麻呂と空海と徳一 大同年間

1. 御春輩(みはるのともがら)とは

田村氏が歴史の大きな舞台に登場するのは、応永3年(1396)の田村氏の乱。
「田村庄司の乱」と「小山の乱」

「篠川公方」と「稲村公方」

応永六年(1399)、御春輩を中心とする南奥諸将の支配・監視するために、室町幕府鎌倉府政所から安積郡へ足利満直(篠川公方)、岩瀬郡には満直の弟足利満貞(稲村公方)が派遣

鎌倉幕府 室町幕府の仕組み

2.田村氏
三春田村氏は、当初は守山にいたといわれ、永正元年(1504)に田村義顕が、三春に城を築いて移ったといわれます

・田村庄の争乱
「天文の乱(てんぶんのらん)」と ~40年後「天正田村騒動・郡山合戦」

天文の乱(てんぶんのらん)とは、天文11年から17年までの6年間(1542年 - 1548年)、伊達氏当主・伊達稙宗と嫡男・晴宗父子間の内紛に伴って発生した一連の争乱。洞の乱(うつろのらん)とも呼ぶ。田村の庄(田村家中)でも、二分され晴宗組した常葉、中津川氏、田母神氏等が、植宗に組した田村本家と敵対

天正田村騒動は、天正14年(1586年)の陸奥国三春城主田村清顕の死去後の田村氏を巡る内紛に対して、2年後の天正16年(1588年)に清顕の娘婿である伊達政宗が行った措置のこと。この内紛は田村氏の縁戚である伊達氏と相馬氏、田村氏と所領争いを続けてきた岩城氏が介入し、郡山合戦の原因ともなった。

田村月斎

御北の方 清顕夫人


3.伊達氏
天正16年(1588)8月、伊達政宗が三春に入城しました

4.蒲生氏
本陣川又氏、山三伊賀屋渡邊商店 近江屋 伊勢屋 老舗

5.加藤氏
寛永4年(1627)、蒲生氏郷の孫・忠郷が嫡子のいないまま死去したため、伊予松山に減封される形で上山藩主だった弟の忠知が本家を継ぎ、交代で加藤嘉明が会津藩主になりました。

6.松下氏
寛永4年(1627)、加藤嘉明の会津入部に従う形で、嘉明の娘婿である松下重綱が二本松藩主となりました。しかし、その年の10月に重綱が死去すると、嫡男の長綱は翌年正月に加藤明利と交代で三春藩主になり、寛永21年(1644)に改易されるまで、三春を治めました。


6.秋田氏 春陽士(しゅんようのさむらい) 三春藩士 秋田家中
三春の家臣録「世臣譜」の総称

三春藩領内総鎮守 太元明王 

4.まとめ









| ryuichi | 03:26 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |