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日本海軍航空隊 急降下爆撃機元操縦員の教え





日本海軍航空隊 急降下爆撃機元操縦員の教え


戦後80年、今年はちょうど母方(台東区元浅草)の大叔父の50回忌でした。

以前より、元海軍艦上爆撃機のパイロットの大叔父の事柄を聞き取り調査をしていたということもあり、法要に招かれ参列して焼香をしてまいりました。

大叔父は、盧溝橋事変のころに、横須賀航空隊の下士官として航空術練習生(操縦練習生)で、急降下爆撃機の操縦を学びました。


無事、訓練を終え第三航空艦隊所属となり艦上爆撃機搭乗員になりました。

太平洋戦の初期には編成したばかりの第五航空艦隊所属の航空母艦「瑞鶴」に配属となったようです。

真珠湾、珊瑚海海戦では九十九式艦上爆撃機を駆ってその戦力の一翼を担っていたようです。

ミッドウェーでは、母艦の損傷修理や冷自身の怪我の治療の為に命拾いをしたと言っていました。

その後、新鋭機、熱田製液冷エンジン搭載の艦上爆撃機「彗星」へ機種変更して、商船改造の護衛空母「飛鷹」へ配属後、飛行学校の教官となり終戦を迎えました。


その大叔父から飛行機の操縦の話しをよく聴きました。 
 
飛行機は気流の影響で常に進行方向に対して微妙に横に滑って飛行するそうで、計器で補正し当て舵をとって飛ぶそうです。 
 
操縦士の教官として戦争末期には、本土防空要員の迎撃戦闘機の搭乗員養成を行っていたそうです。

しかし、当時日本陸海軍本土防空を担っていた航空隊の資機材、空冷の零式戦闘機はじめ紫電や雷電、三式戦闘機飛燕、鐘馗では高高度性能が低下するので、それで成層圏を飛んでくるB-29 や護衛のムスタングP51、F4U コルセアなどの巨大なエンジンを搭載した米軍機への迎撃や哨戒機任務にあてるのは「馬に乗った武士を、船に乗せて戦わせるようなものだ」と言っていました。


しかし、日本の陸海軍の迎撃航空隊は巧みな要撃戦術と卓越した操縦技術で活躍します。
大叔父は教官として「敵が来たら迎撃し生きて帰って次に備えるということがプロの軍人としての心構えである。最後まで生きて帰ってこい」と指導していたそうです。

先の戦争におけるB29の被害機数はあまり知られていませんが、日本本土空襲にきた約3万機のうち、陸海軍の迎撃航空隊や高射砲防空部隊によって485機が撃墜され、2707機が撃破されています。

自分の力を使う場所と、方法を間違えるなということでした。




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| ryuichi | 03:22 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |