2026-05-16 Sat

下舞木石花に鎮座する別所山薬師様は、下舞木から阿久津へ通じる道にあります。
下舞木南部地区集会所の隣接です。

別所山薬師堂「萱ノ木薬師の伝説」
江戸時代、現在の三春町下舞木は、旧磐城守山藩松平家の領地でした。
その南端の山々は草刈場として知られていました。
村の青年男女たちは、毎日、馬を牽き草刈りに通っていました。
ある年の秋のことです。
この近く、別所の地の高台に大きな萱ノ木があり、その近くを通ると急に馬が暴れて人が振り落り落されるということが三四度と続いたそうです。
不思議に思った村人が萱ノ木を調べてみたところ、根元の「ほこら」に立派な薬師如来像があったそうです。

みんな驚いて大騒ぎとなりましたが、ちょうどそのころ、安積郡の多田野村別所というところでは、お薬師さまの尊体がなくなり大騒ぎをしている最中でした。
「舞木で薬師如来の尊像が発見されたことを風の便りに聞いた多田野の人たちは、もしやなくなったお薬師さまではないかと思い、早速代表の者が、下舞木を訪ねたのでした。すると、まさしくなくなった尊像に間違いないことがわかりました。
そこで、礼を尽くして尊像を返してもらい、箱に納めて担おうとしたところ、箱の底が抜けてしまいました。
新しい箱に変えてみましたが、何度やっても底が抜けて担ぐことができません。
多田野の人は「これはお薬師さまがこの舞木の地をお好みになり、遷座あそばしたいのであろう」と思いましたので、舞木の人々に「尊像にふさわしいところを選んでお祀りして下さい。」とよくよく頼んで帰ったのでした。
このことが、下舞木を始め近郷近在に大評判となったので、村人たちは、念仏講中を組織して、喜捨を求めて村々をまわり資金を作り、下舞木石花地区の南方にある高台に御堂を建てて薬師如来の尊像を祀りました。
「おらが里のざっと昔」参照
仏教が日本に伝来する六世紀以前、人々の信仰の対象は自然だったのでしょう。
山や木、そして巨石、さらには風や雷といった自然現象をも神として崇め、祈りを捧げてきました。

その古代信仰の上に、神道や仏教が重なり合い、神仏習合が行われてきた日本の信仰。
明治以後、国策によって神仏離反、そして廃仏毀釈と言った仏像廃棄が行われましたが、三春の里山では今なお神と仏が共存する姿に出会えます。

閻魔大王石像がありました。

これは十王信仰に由来します。
十王は死後の人々を審判する十人の冥界の王である各王の審判を受け、生前の罪によって行き先が決められる。
まず初七日に「秦広王」の審判を受け、罪が決まらなければ、次は十四日に「初江王」の審判を受ける。
二十一日目に「宋帝王」、二十八日目は「伍官王」、三十五日目の「閻魔王」四十二日目の「変成王」、四十九日目の「太山王」と七日毎に順に審判が行われ、そのあと百ヶ日の「平等王」、一周忌の「都市王」と続き、三回忌の「五道転輪王」で終わる。
中国で成立したが日本でさらに発達し、十王のそれぞれに本地仏を配し、閻魔王様には地蔵様が配されている。
地蔵様は地獄の救い主であり、罪を裁く閻魔王でもある。

| ryuichi | 03:37 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧岩江村::下舞木 |
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