2026-06-19 Fri
篠川御所(篠川公方) 篠川城
篠川城(ささがわじょう)は、現郡山市安積町篠川にあり、篠川御所(篠川公方)と呼ばれた足利満直の居舘です。
満直は第3代鎌倉公方となった兄・満兼の命を受け、奥州を統治するために陸奥へ下向しました。
元々は篠川城は、鎌倉時代に一帯を治めた北条国時(塩田流北条氏)によって築かれたと伝わっています。
南北朝時代には、南朝方の宇津峰城や守山城に対抗するための要地でもありました。
時代は下がって、戦国時代には須賀川城主・二階堂照行の家臣である須田佐渡守頼隆が城主をつとめていましたが、1589年(天正17年)に伊達政宗に攻められ落城しました。
その後は廃城になったと思われます。
現在城址には本丸跡に東館稲荷神社が祀られており、土塁や空掘を確認することができます。
尚、駐車場ありません。
また、道が狭く普通乗用車では厳しいかも…
1438年8月、室町幕府側と鎌倉公方側の争う"永享(えいきょう)の乱"と呼ばれる戦が始まりました。篠川公方の意気込みに反し、安積の国人一揆(同盟)が戦を望んでおらず、また関東公方を密かに支持する勢力もあり、永享の乱は関東管領・足利将軍の勝利で終わります。
関東公方の足利持氏、稲村公方・満貞は自害し、篠川公方満直(みつただ)も翌年には、稲村公方を支持していた石川氏や畠山氏が篠川御所を強襲し、最終的には下総結城氏の結城氏朝・持朝父子らと対立して自害に追い込まれました。
満直の死により篠川が"死の川"と読めることから地名表記も"笹川"に改められました。
三春城下御菓子三春昭進堂
| ryuichi | 03:48 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |
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