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三春物語286番「道祖神の鬼退治」
「道祖神の鬼退治」



三春の里山では、村の一番外側のところに、道祖神・地蔵・あるいは巨石・古木などがあり、そこが一種の「結界」になっていました。

城下境にある旧貝山村道祖神は、道陸神や塞の神とも呼ばれる路傍の神とされ、実沢に高屋敷の薬師堂と堂の下などに見られます。

いずれも部落境にあり、外から来る疫神や悪霊などを集落の境で塞ぎ防ぐ神さまといわれています。さらに、旅の安全を守る神さまへも変容するとされています。

主に石碑や石像の形態で祀られる神で、古い時代のものは男女一対を象徴するものになっています。

そしてその結界の外側に存在するものは「鬼」として処理されたのです。

道祖神はその「鬼」の不法侵入を防ぐ働きがあります。

これは仲のよい男女神なので、その間を無理矢理通り抜けようとすると、「邪魔するな」とばかりに跳ね返されてしまうと言われています。

外のものを「鬼」とみなすという心理構図は、昔話に見て取れます。

例えば「おむすびころりん」で穴の中に落ちたおむすびを求めて行くと、そこには鬼がいた、などといった話の中にも見ることができます。

桃太郎も海を越えて鬼ヶ島に行きました。海はこの世界とあの世界を隔てる結界です。

この「よそもの」は害をなす場合は「鬼」ですが、福をもたらす場合は「稀人(まれびと)」になります。

おむすびがころがり落ちた穴は、外界に通じる、結界の外であると同時に、足元にあるもの、つまり心の中にあるものと解釈されます。

いくら外に結界を張っても、心の奥底には深い闇が広がっています。

鬼は私たちの心の中にも潜んでいるかも知れません。

皆さんは、節分の豆まきをしましたでしょうか?
元気よく、”鬼はそと!福は内!”とまきますと、家から鬼が退散します。

この豆撒きは、自分の心にも当てはまると思います。
私たちの心の中には人間である以上、誰しも例外なく「鬼」が住んでいます。
鬼の顔を見せない人は、鬼を上手くコントロールしているのです。しかし誰でも楽にコントロールできるわけではありません。

「人のこころには、必ず鬼が棲んでいる…」人間は、そんな鬼の部分を心の中に隠し持って生きています。

陰惨な事件の多くは、その心の奥底に蓋をしたために、それが屈折して爆発した結果起こってしまったような気がしてなりません。

確かに心の奥底や闇をさらけ出し、人と向き合って生きていくことは、容易ではありません。それはさまざまな困難や障害を生み、自分を、誰かを激しく傷つけることになるかも知れません。だからこそ、その上に成り立った人と人との結びつきの絆は美しく、尊いものなのではないでしょうか?

「忙しい、忙しい!」と言っていると、だんだん「心が亡くなって」鬼が暴れ始めてしまいます。忙しくともちょっとした余裕を、忙しくともちょっとした笑いを・・・。

このちょっとずつが、鬼に対する豆になり、少しずつ「心のゆとり」が持てるようになることとおもいます。

そのうちだんだんと自分に心のスペースが出来るはずです。鬼はそのうち、窮屈になって隠れてくるでしょう。
最近では誉め言葉に近いように使われている「忙しい」は、自分を追い詰めていく「鬼」です。村境の巨石や道祖神を眼にしたとき「心の中の鬼」を思い出し、忙しくとも自分に豆を蒔いて鬼を鎮め、心に余裕を作っていきたいものです。

  蒼龍謹白    合掌



| ryuichi | 06:24 | comments (0) | trackback (x) | 三春ノ信仰1 |
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