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三春物語323番「三春城下本陣のシトギ」


十月十九日、三春城下中町の旧本陣では、屋敷内にある氏神様である熊野権現宮に「シトギ」を上げます。
葱や大根などと供に「シトギ」を三重ねにしてお供えしてから、シトギの一つを箸で割って養う所作をすると伝えられています。
「シトギ」とは、生米を水に一晩浸しておき、翌日水を切って臼に入れて杵で搗き、お湯で溶いたものを糊状にして、扁平に丸めたものです。
これは、純白で清浄な神饌とされ、これをそのまま食します。
稲作源初における米の生食の名残と考えられています。
顔にある「こめかみ」の語源とされています。



本陣とは、武家が常に軍旅にあるとの考えから、藩主の巡領や幕府・巡見使の宿をいい、大商人や庄屋、そして町老など地域の有力な家が勤めた。
また、名字帯刀を許され検断や年寄り役をつとめるなど、宿の経済と文化の興隆に大きな役割を果たしています。

三春城下においては、 三春城下の検断職(町役人)を勤めた中町の豪商川又家が、その屋敷を幕府巡検使などの宿所、本陣にしていました。
また、この三春の地で俳諧交流や、民衆の唯一の娯楽であった人形浄瑠璃や地芝居が活発であったのは、川又家をはじめとする宿の「旦那衆」の貢献があったればこそでしょう。

近代では、町教育委員などを務められた先代の本陣本店の旦那である川又 恒一氏は、「三春駒とデコ屋敷 」(1983年)を出版するなど三春町の文化向上に大変寄与されました。



幕府は、地方大名の台頭を抑えつつ、忠誠を誓わせるために、参勤交代という制度を設け、交代で江戸と国元を行き来させました。
その際に大勢の従者を連れた大名一行の宿泊施設となったのが、途中の宿駅・宿場に置かれた公的宿泊や休憩地といった「本陣」や「脇本陣」
でした。
主に「本陣」や「脇本陣」の役割を担ったのは地方の名家や寺社、長者であったようです。
現代に置き換えると、「旅籠」は一般的な旅館、「本陣」や「脇本陣」は高級旅館といった感がありますが、その格差は相当な開きがあったものと思われます。


三春昭進堂 髙橋龍一

| ryuichi | 06:01 | comments (0) | trackback (x) | 🌸三春城下中町 |
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