2009-10-24 Sat
旧三春城本丸跡に建つ明治戊辰役三春藩士烈士碑
戊辰戦争で三春藩は当初、小藩の悲しさゆえ会津を中心とした奥羽越列藩同盟に加盟していましたが、徳川家自ら政権を投げ出したその時代の流れを素早く読んだ、河野広胖らの若い藩士たちが、東山道先鋒総督府参謀であった板垣退助に会見した。
板垣ら西軍と帰順を工作、和平交渉の末に、三春無血開城を果たします。
しかし、その影で列藩同盟に出向していた四人の三春藩士がいました。
彼らは、三春藩の同盟離反を受けて腹を切ります。
ここにも命をとして三春を守った三春藩士が居たことを忘れてはいけません。
明治になって建てられた石垣
明治戊辰役三春藩烈士碑
大関兵庫 ..百三十石/祐筆/明治元年七月二十六日藩論一変、官軍三春入城となったため、たまたま奥羽同盟軍事局に派遣されて福島滞在中東軍の手で殺害
大山巳三郎 ..藩論一変、西軍三春入城の明治元年七月二十六日、仙台に使して二本松に在ったため東軍に捕えられ、殺害された
不破関蔵 ..百八十石、江戸元締用人/藩論一変により西軍が三春に入城した明治元年七月二十六日、出張先の二本松で東軍に捕斬された
渡辺喜右衛門..五両五人扶持、御用部屋物書/西軍三春入城の明治元年七月二十七日二本松にあり、東軍に捕えられ斬
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
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