2009-11-26 Thu
三春城下より北へ二里余り、戦国期には田村北方衆が護った富沢集落の一郭に、この石仏群があります。
見過ごしそうな場所ですが、地元の方々の掃除が行き届いていています。
青面金剛碑には講中拾二人の文字が読み取れ、庶民信仰による供養塔なのでしょう。
今でもそうですが、石塔や石仏を立てるのには、多くの資金が必要となりますので、講中が浄財を出しあって立てたのでしょう。
庚申信仰は、仏教系では「青面金剛」、神道系では「猿田彦大神」が祀られます。
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名も知らぬ石工が仏心をもって彫りきざんだ数々の石仏・石塔・石宮が点在して苔むした石仏に、風雪に耐えたの年輪が感じられます。
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