2009-12-12 Sat

三春の村々を歩くと、「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)の六字を刻んだ石碑の見あたらない地域は、ほとんどないと言ってよいでしょう。
時宗や浄土宗、一向宗などの念仏宗の寺はもとより、路傍にも、樹陰にも、幾つもの碑をよく見かけます。

南無阿弥陀仏の六字は、長い間、三春人の心に浸透してきました。
現代ではそれを唱える者が少なくなったとはいえ、その「称名念仏」の心が三春人の精神の多くの部分に影響を与えてきた、と言って過言ではありません。
阿弥陀仏の願力(他力)も乗じてその浄土(西方極楽世界)に往生せんとする「他力往生」の信仰はあ、末法思想の影響もあって、平安時代以降、急速に強まったとされています。比叡山横川にいた源信の「往生要集」もその後の浄土信仰に大きな影響をあたえました。この流れの中から法然・親鸞・一遍等が出て、阿弥陀仏信仰は「浄土」信仰の主流を形成した。また、現世に阿弥陀仏浄土を造立すべく荘厳をこらした浄土建築・美術を生み、阿弥陀仏堂に遺体・遺骨を納めることさえおこなわれます。

鎌倉時代から室町時代にかけて多い板碑(石板塔婆)にも阿弥陀仏三尊を彫刻したものが多くあります。
念仏行事を中心として平安時代後期から宮廷貴族の間に行われた阿弥陀仏講(往生講ともいう)は特別の行事に際し、塚または石塔を立てたし、また阿弥陀仏の十五日縁日は「古今著聞集」にも見られ、古くから行われていました。

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