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三春物語458番「田村大元神社 平成の大修復 三春藩領内総鎮守大元帥明王堂」




旧三春藩領内総鎮守「大元帥明王堂」の平成の屋根修復工事
三春城下新町鎮守田村大元神社の屋へ吹き替えの様子です。



約十年に及ぶ屋根修復に伴う募金活動末、今年1月20日より工事着工の運びとなりました。
完成は、今夏7月祭礼前を予定しています。



明治三十三年建立の拝殿と慶応元年の仁王門(現随身門)が、昭和3年に茅葺から銅版葺きに改装されて以来、役80年ぶりの修復です。



三春藩の領内総鎮守であった明王堂が、明治初期の廃仏毀釈によって大志田山神社に改められ、その後「田村大元神社」の改称して現在、三春城下新町の鎮守様として鎮座しています。



鎌倉以来、田村地方の旗頭田村庄司家は、南北朝動乱に終止南朝方に組して宇津峰城に敗れ、関東公方率いる関東十州の大軍の攻撃を受けて没落します。
代わって田村地方の旗頭に就いたのが三春田村氏です。
是を境に関東府と北朝方の白河結城氏の田村庄に対する配慮は厚く、旗頭交代を示す総鎮守の遷宮は欠かせないものであったと考えられ、田村義顕三春入部以前に明王堂が建立されて可能性もあります。




総鎮守時代最後の遺構は仁王門で、幕末の慶応三年に竣工されています。
拝殿や本殿は、明治維新の際に発令された「廃仏毀釈」「神仏分離」にあたって取り壊され、現社殿は明治三十三年に、旧明王堂の彫刻の一部を用いて郷社格神社として建立されました。



一方仁王門は名称を隋神門と改称され建物は残りましたが、仁王像は真照寺に納められます。
隋神門に戻されたのは、太平洋戦後の昭和三十六年です。
実に93年もの間真照寺の回廊に置かれました。



| ryuichi | 05:52 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩総鎮守 大元帥明王(現・田村大元神社)::大元帥明王社(田村大元神社) |